特集《わたしたちの美術館は》

特集《わたしたちの美術館は》

更新履歴 2022年9月29日> 1 阿部典英さん 2 古道谷朝生さん
     2023年3月4日>   3 インタビュー 進藤冬華さん、今村育子さん、山本雄基さん

 

 特集の第1回(2022年9月)から少し間が空き、道教委が主催する有識者の「これからの北海道立近代美術館検討会議」にも進展がありました。2月2日の第9回会合では、それまでの検討をもとにまとめた「北海道立近代美術館リニューアル基本構想(中間報告)素案」を承認しました。「素案」では「検討の背景」「現状と課題」に次いで、「目指す姿」「施設整備の基本的な考え方」を提示しています。

 この「素案」を広く知ってもらうため、「目指す姿」の中から〈ビジョン|私たちが目指すもの〉〈ミッション|私たちの使命〉〈コンセプト|私たちが取り組んでいくこと〉の記述を引用します。

 

〈ビジョン|私たちが目指すもの〉

 北海道立近代美術館は、アートの普遍的価値の継承・発展と、発信に取り組むことにより、誰もがその豊かさを享受することで、多様な人々が互いを受け入れ、活かし合う、創造性と活力にあふれる社会の実現を目指します。

〈ミッション|私たちの使命〉

○北海道の美術文化の中核として、道民に信頼され、親しまれるとともに、誰もが楽しみ、学び、やすらぎを感じ、人生の豊かさを見いだすことができる場所となります。

○アートを介した新たな発見や感動体験により、人々の生涯を通じて創造力と豊かな感性を育み、刺激し続けます。

○様々な人々や団体と協働し、地域のアートの活性化に貢献するとともに、多様性の尊重や持続可能性が求められるこれからの社会づくりに向け、美術館としての活動を積み重ねながら、道民とともに歩んでいきます。

〈コンセプト|私たちが取り組んでいくこと〉

●ハーモニー ●コレクション ●リサーチ ●ウィズ・キッズ ●コラボレーション(詳細略)

「北海道立近代美術館リニューアル基本構想(中間報告)素案」概要版

 

〈コンセプト〉のひとつ●リサーチには、「誰もが北海道の美術について深く、多角的に学ぶことができるよう、資料のアーカイブ化などに取り組みます。」との文言が盛り込まれました。また、●コラボレーションでは「アーティスト、ボランティア、学校、企業など様々な人々や団体と持続的な協働体制を構築し、多彩な展覧会を開催するほか、個人の成長・年齢や個性に応じた楽しみと学びの機会の創出を進め、地域の美術文化、美術教育を活性化します。」と述べられています。従来の「実行委員会形式」の展覧会も企業とのコラボの一種とは言えますが、協働相手として「アーティスト、ボランティア、学校」を掲げたあたりには新たな可能性も感じられます。

 この「素案」を受け、特集《わたしたちの美術館は》の第2回では、札幌市東区の共同スタジオ「なえぼのアートスタジオ」を拠点に活動する美術家の進藤冬華さん、今村育子さんを訪ねました。インタビューのテーマは「美術館との距離感」。2人とも道外、海外に活躍の場を広げており、学芸員やキュレーターと緊密な関係を期待しつつも、これまでは深い縁があったわけではないそう。美術館への期待の裏返しで、厳しい注文も飛び出しました。同じスタジオに入居する山本雄基さんも「オブザーバー参加」と言いつつ、熱く語ってくれました。

2023年1月30日、なえぼのアートスタジオ
進藤冬華 今村育子 山本雄基 聞き手・古家昌伸)

――なえぼのアートスタジオはどのように運営されていて、ふだんはどんな活動をしていますか。

 今村 アーティストやギャラリーオーナー、NPO法人S-AIRなど15組が入居しており、 コアメンバー10人プラス管理人1名が共同で運営しています。私は美術家と会社員と親の三つの立場で仕事をしています。以前は立体のインスタレーションが中心でしたが、最近は写真のインスタレーションも手掛け、制作の場はコンパクトに自宅中心になってきました。なのでスタジオにはあまり来ませんが、会社(札幌駅前通まちづくり株式会社)でまちづくりとアートに関する企画やスクールをやっていて、それが作品制作に影響するなど、結構面白い(環境にいる)と思っています。去年は大通地下500m美術館、室蘭アートプロジェクト、ミュンヘンでのグループ展(「RIMOKON」、4月からCAI03で報告展開催)、東京のアーツ千代田3331などで作品を発表しました。

 進藤 私は昨年後半、ロンドンで2ヶ月のレジデンスを経験したのと、東京の森美術館で開催中のグループ展(「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」、23年3月26日まで)、札幌芸術の森美術館のグループ展(札幌美術展「昨日の名残 明日の気配」、23年3月12日まで)に参加。あとは平取町でのプロジェクトや、アーティストインスクールの活動にも関わっています。今年は自分のプロジェクトにもう少し時間を取りたい。リサーチで札幌を離れることもあるけど、割とスタジオには浸っているほうですね。作品をここに置いているので、展覧会の準備とか、仕事場としては使い勝手がいい。あとは山本くんとよくしゃべってます(笑)。私たちはフルタイム(の美術家)で、誰かと話す機会もあまりないので。

 今村 2人はよく話してるよね(笑)。

 山本 作家同士の情報交換は大事ですし、僕も毎日スタジオにこもりがちなので。ここは24時間使えるし、住宅地から離れているから作品を研削する部屋も確保できる。冬は寒いことを除けばいい場所ですね。

キュレーター、学芸員との交流は有意義
でも仲良くなるまでには時間かかる

――さて本題。美術館やギャラリーの企画展に招かれたとき、学芸員やキュレーターと何らかの意見交換をすることはありますか。

 進藤 学芸員やキュレーターに「あなたの作品はどうですね」とか「こんなコンセプトだから、あなたの作品を選んだ」と批評的なことや、選んだ理由を詳しく言われた記憶はあまりないです。もちろん、セレクションの過程でスタジオビジットや、プレゼンをして作品を見てもらうことはありますし、展覧会が決まった時は展示の打ち合わせはちゃんとします。美術館だと学芸員が過去の作品を見てくれて、こんな切り口ならいける(企画できる)と考えてくれているはず。そういう意味の共同作業ではある。

 今村 私は新作を作って解体しちゃうことが多いので、もちろんプランは提出しますが、空間のサイズとか安全性とか、展示の諸条件を言われるぐらいで、それ以外はあまりありませんでした。私が展示させてもらったのは北海道の美術館のみですし、もしかするとその展覧会に限ってなのかもしれません。でもおかげで自由にのびのびやらせてもらえたとも言えます。

 進藤 あとはお金じゃない? 予算の相談ね。

――学芸員やキュレーターと作家は、ふだんから濃密なつきあいをしているイメージもありましたが。

 進藤 そうでもないです。アーティストとキュレーターって特別に見えるかもしれないけど、ふつうの人づきあいの延長だとも思う。私は友達みたいになるまでは時間がかかりますね。

 今村 (作家とのつきあいは学芸員の)職務には入っていないのかも。きっとキュレーション以外の業務がたくさんあるでしょうから、とにかく忙しいのですよね。

 山本 僕の印象では、進藤さんは普段から学芸員と作家の間の距離感に関心や疑問を向けていて、その問題を改善する意味でも、話ができそうな人を独自の嗅覚で探して会話しようと試みているように見えます。進藤さんが企画展に参加している森美術館の若いキュレーターは、展覧会には直接関係なくても、自主的にリサーチに同行して、その成果が進藤さんの批評記事に反映されていた。そういう相互関係が生まれることは有意義だと思う。

――そんな意識を持っていても、実際には距離を感じることがあるわけですね。

 進藤 一緒に仕事をすれば、どんな価値観を持っていて、私がなぜ選ばれたかが見えてくることはある。でも、そうでなければ名前は何かで知っていても、プライベートで話したり、会いに行ったりするきっかけがない。「選ぶ、選ばれる」の関係もあるから、こちらから学芸員にはなかなか声をかけにくい。逆も然りかもしれません。

 今村 私が誘っていただいた企画展は、学芸員みんなで作家を選ぶことが多いのか、この人が招いてくれたんだな、と顔が見えるケースは多くありませんでした。また地元作家と学芸員との距離という意味では、現代アートのギャラリーでアルバイトしていたとき、芳名帳でお名前を見かけした学芸員さんは限られていた気がします。

――学芸員は地元作家の作品に接する機会がなくなってきている?

 今村 美術館で地元作家の企画自体が少なくなっていることは大きいかも。だとしたら、職務として地元作家を知らなくてもいいことになってしまいそう。

 進藤 最近はネットを含め、情報を入手しやすいから、直接コンタクトを取らなくてもいいのかなあ。もちろん展覧会に来ていることもあると思いますが、私は会場にいないので来ているかどうかも分かりません。

〝イケてる美術館〟になってほしい
「近代」に立ち返って粘って考える

――道立近代美術館の現在をどう見ていますか。「素案」を踏まえつつ、今後のあり方をどう考えますか。

 進藤 「徳川展」とか「エジプト展」ではなく、やはり北海道でしかできないことをもっとメインの企画でやってほしい。それだけに向き合うのは難しいかもしれないけど。私はコロナ禍で、外へ出て行かなくても地元の環境が面白ければいいと考えるようになってきた。だから、いま周りにあるものを総動員して何とかしないと物事が良くならないのではという危機感、焦燥感がある。そのとき自分が期待する選択肢に美術館がないとしたら残念です。

 今村 とにかく〝イケてる美術館〟がほしい(笑)。パリのポンピドゥセンターにしても金沢の21世紀美術館にしても、建築も展示空間も企画もすばらしく、広場も設計されていて人が集うところが多い。若い人も「あそこに行ったら楽しい」とかデートしたいと思うような、自慢できる美術館がほしい。近美に高齢の美術ファンは多いのかもしれないけれど、若い人が行きたいな、行ったら楽しいなと思う場所にはなっていないのではと思います。特に子どもには、新しいアートを通して新しい価値観や考え方を知る機会が必要です。

 山本 これは「素案」では「ともに歩んでいきます」と言われている「道民」かつ美術作家として切実な話ですが、僕らは中堅になってきて、まだ体力もあって、スケールアップした作品展開ができるようになってきた時期。でも、民間の企画や道外の機関にはある程度引っ張ってもらっている感覚に比べて、道近美にはなかなか後押ししてもらえない。背中押してもらえると制作活動ももう少しやりやすくなるのだけど、そうならないのは、すごくさびしい。

 進藤 それもあるよね、美術館に近寄らない理由は。観客として訪れることはあっても「アーティストとして展示する機会はないのだろう」と思ってしまう(笑)。

 山本 美術のことを考えるほど学芸員の皆さんからは面倒くさい奴になって、あの人には近寄りたくないとか、あるいは、あの人は他の所でうまくやっているからいいや、とか思われているのではと、被害妄想(笑)。こう言うと自分の展覧会をやってほしいだけ、と思われそうだけど、そこは単に自作がつまらないだけかもしれないし、自分の問題ではなく構造の話にしたい。この地で真面目に美術の問題と向き合っていくと多かれ少なかれ似たような葛藤を抱えるのではと、上の世代をみても感じます。回顧展ができるレベルの質の高いベテラン作家でもここ北海道では美術館に放置されていると思うことが少なくありません。そうなると、仮にこれからものすごくおもしろい作品を作り続けられたとしても、自分たちの世代の順番も死ぬまで回ってこないのかなという未来像が見えてくる。問題を共有して話せる人も少なくなり、運が良くても人生を終えてから、余っている作品が一つ二つ寄贈されれば万々歳。他の場所での活動が充実しても、このむなしさは不動で、きびしい土地だなあと感じることはあります。

 今村 やはり現代の、そして地元の作家をしっかり扱ってほしいですね。33歳で初めて会社員になりアートに関する企画をする立場になって、社会の中での美術に対する関心の低さに悩んできました。これでは先が細くなってしまう。地方でやっていくには、協働・協力が必要だと思います。

 進藤 東京や近郊のアーティストは30代後半から40代ぐらいで、地方の美術館から個展の声がかかって、それがあるから後のキャリアが築けるという状況がある。北海道は歳上の人から順番にやってきているように思ってしまう。

 山本 すごく歳をとるか、すごく若いか。若い時に1回グループ展で見せたからもうOK、みたいな無意識の風潮がもしあったら怖いですね。あとは良い人か、政治力? いや、どこだってある程度そういうのもあるとして、あまりに続くと、あれ? 美術はどこにいった?と思うし、そういう感覚を共有できたらいいなと思う。僕たちじゃなくても、美術館がちゃんと問題意識を持っている作家を選んでくれるなら納得はいきます。

 今村 各地で頑張っているのに、地元がそれを「頑張ってるね」とちゃんと言わないのは悲しい。進藤さんや山本さんのような、国内外でのアーティストの活動がもし個人の利益のみに見えているのなら、それは全く違います。そういうキャリアの人たちを評価して、地方にとどまって活動を続けることができる環境がつくれれば、下の世代に経験を伝えていける。見本になる。札幌でもやればできるって思わせることができる。それこそが財産なんです。

――納得がいく作家とは、たとえば?

 山本 全国区で言えば、ちょうど今、東京国立近代美術館で回顧展(2022年11月から23年2月まで開催)をやっている大竹伸朗さんは60代ですが(美術界の「長老」でなくても)彼なら好き嫌い関係なく納得はできる。16年前には都現美(東京都現代美術館)でも大きな回顧展をやっていました。もし大竹さんが札幌ベースの作家だったとしたら……現状の道近美には展示を避けられそう、と思ってしまう。道内の作家では、言いづらいですが、言わなくても思いつくベテランの方とかある程度皆さんと共有できるのでは。

 進藤 ついでの話で「近代」問題だけど、例えば東京国立近代美術館はコレクション展でいつも日本の近代以降の美術の歴史を見せている。そういう背景を持って、その延長上にいる現代の作家を取り上げた企画展や、コレクションをしたりしているのではないでしょうか。それはそれで権威的かもしれないけど。

 山本 美術館は美術の価値を決めるところだから権威的なのは必然だと思います。故に、その権威性を引き受けて、できるだけ信頼できる価値づけを提示していく場所であってほしい。

 進藤 道近美はそういう意味では、展示の内容が「近代」に限らないからという理由で簡単に名称を変えるということでいいのかな、と私は思います。北海道の近代の美術をどういうふうに考えるのか、それを粘って考え、展覧会や運営に反映していった方が、地方の美術館として有意義だと思います。北海道では特に「近代」を軸に何度でも立ち返って考えることができるのでは。それは国立近美とは全然違う視点になるだろうし。

「お金の作り方」はどうするの?
評価は展覧会や学芸員の意識で

 山本 ところでいまは新しい作品も購入できていないんですよね? ちゃんとコレクションすべきだと思われる作品まで、ある時期からは購入じゃなくて寄贈と聞きます。それは生きている作家にとっては辛い話です。

 今村 検討会議のなかで、作品購入の問題は議論されているのかな。どうしたらコレクションを集められるのか。この「素案」が理想的な形だと言われても、お金の作り方など具体的にどうやって実現して持続するかがわからない。

――収蔵品展であっても、学芸員が汗をかいて発想や努力が目に見える展覧会は評価されてきたと思う。

 進藤 そういう展覧会のほうがお客さんも面白いと思いますよね。展覧会を見ればわかると思う。大きな巡回展は宣伝にかけている金額も大きい。その予算の一部を近美の自主的な運営に回せるような制度を作ったらどうかな?

 山本 それこそ最近の常設展は地味でも意欲的なテーマ設定をしたものがある(注1)。それだけで学芸員さんの意気込みが伝わってくるし、印象が随分変わります。Webサイトも数年間は道教委サイトの中に組み込まれたひどいものだったのが、最近は各学芸員の研究まで載せるなど良いサイトになった。

 進藤 美術館や展覧会によっては学芸員じゃなくて専門の広報の担当者が入っていますよね。

 今村 お金がないと、自分たちで何でもやらなきゃならなくなるのはわかる。専門外のことをやるのは本当に難しいですよね。

 山本 お金がないならコレクションを売るのはどうか。エコール・ド・パリとガラス工芸って北海道に関係ないですよね。昔の唐突な謎のコレクション方針を守るより、まず北海道の近代以降の美術館として何を収集研究しているのかの筋道をあらためて作ってほしい。その筋をもとに、新しい美術館に何が必要で何が不要なのかを検討して、筋から外れる作品は売って、必要なものを入れていく、というのはありなんじゃないですか。リニューアルのタイミングじゃないと難しそう。整理された筋道にやっぱりエコール・ド・パリは必要ってなれば、それはそれでいいと思いますし、見え方も変わるはず。

――収蔵品は美術館のコアで、とくに公立館は信頼にかかわるので売るのはタブーでしょう。

 山本 ダメなのかなあ。

 進藤 海外(の美術館)では売ることもあるよね。学芸員自身はコレクションについてどう思っているのかな。美術館の中ではコレクションに限らず、さまざまな問題に気づいているだろうし、どう変えていったらいいのかも考えているのでは? また内部の人はやりがいや、充実を感じて美術館の運営に携わっているのかも気になります。先ほど入場者数の話が出ましたが、実際の計画段階では、展覧会(の質)や学芸員の意識を基準として業績を評価する仕組みを加えてほしい。評価基準を収支とか入場者だけで判断しちゃうと、そういう企画が優先されて美術館の方向がぼやけ、特徴も出なさそうです。

 今村 さっき言った21美なんかは、美術館のあり方が更新されてから、たとえばラーニング(学び)についても考えなきゃねという時代になってから建った美術館ですよね。コレクションも新しいし、人の動線や環境も含めてデザインされてるし、素敵なカフェもショップもある。尖っていて挑戦的だったから評価されたとも思うんです。みんなの意見を集めるのは大切だとしても、そこにだけフォーカスして美術館を計画したら無難なものにしかならなくて、結局どこにも主体性がなく誰のものでもない場所になる。それで誇れる場所、愛される場所になるのでしょうか。

 進藤 今は昔に比べ、格安航空会社もあり道外や海外に行きやすいよね。有名絵画や国立博物館で見られるようなお宝はそちらで見ようかなと思ってしまいます。

 今村 確かにそうですよね。でも子どもがいて身動きがとりにくい人なんかは、地元の美術館が新しいものを扱ってくれて、子どもが遊んだり学んだりできるなら、それが一番いいと思うはず。私自身もアートの面白さを知った入口……自分に関係あると思えたのが、19歳の時に出会った現代アートだったんです。近美は立地がすばらしく、風景もきれいなので、もっと活用される存在になってほしい。

企画や運営の「余白」があるといい
美術には足かせがあってはいけない

――単に建物を新しくするだけでなく、美術館の運営そのものも変えていく必要がある?

 進藤 美術館は、美術を一生懸命考えられる場所。安心して美術に打ち込める場所のはず。そんな目で「素案」や議事録などにある美術館の機能、課題を見ると、美術館に求める機能や、やるべき事が多いなと感じます。もちろん今は色々な意見を出し尽くす時で、やる事の長いリストができてしまうのかもしれません。でも十分な議論を経て、最後には、関わる人がたくさんのリストをこなさなければならない状況にするよりも、考えながら企画や運営をできる余白が確保されたものになってほしい。議事録には、若手の学芸員の方々が「素案」の前の段階で、多くの話し合いをしたと書かれていて、新たな美術館になってもその状況が継続される環境なら素敵だなと思いました。

 今村 本来、美術は足かせがあってはいけない存在だと思う。いろんな人の意見を聴いて、予算の問題がありますとか、市のミッションが……とかいう足かせを外して、当事者や専門職が「いまはこれだ」とか「こうすべきだ」とそれぞれ主張することが必要です。「素案」では学芸員がやるべき仕事以外も、させようとしている。

 山本 あと気になっているのはいわゆる〝天下り〟問題。最近は近美も三岸美も、館長は道庁や道教委の退職者だと聞きます。トップになる方が美術の専門性と関係ない、その仕組みである時点で「素案」に書かれている「信頼」が揺らぎませんか。それでも、美術の知識やリスペクトの感情を持ち、お金を持ってきてくれたり、学芸員に自由に仕事をさせるムードをつくったりしてくれる館長なら、いいとも思います。美術が向き合っている物事や社会問題について、一緒に真摯に考えてくれる人なら同じ方向を向ける。でももし、美術とは特に食い合わせの悪そうな、過剰な道徳観や決まりごとなどを優先しようとする人がトップになれる構造があるとしたら、悲しいことです。詳しいことはわからないけど、その辺どうなっているんでしょう。

 今村 決定権のある人がそういう価値観だとしたら、何も変わらないですよね。

――話は尽きません。若手の学芸員たちはどう思っているのか。直接、質問をぶつけてみたいですね。

 

注1:道立近代美術館で開催中の展覧会「戦時下の北海道美術」「シャガール・イン・プリント」(2023年4月9日まで)は、学芸員が地道な調査研究によって収蔵品や北海道の美術に光を当てた仕事として評価されるべきだろう。「戦時下」は2022年の「北海道立美術館・芸術館紀要」第31号で佐藤幸宏(現札幌芸術の森美術館館長)、田村允英(現道立函館美術館学芸員)が報告した「北海道の美術・戦時下の動向について 1938-1945」に基づく展示。北海道出身作家の従軍画家としての仕事や、戦意高揚を目的に開かれた戦時下の展覧会に着目して詳細に調べた。「シャガール」は、中村聖司(道立近代美術館学芸副館長)が最新のシャガール研究の知見をもとに、所蔵作品《パリの空に花》に新たな解釈を与えている。(古家)

〈第2回完〉

 


 

 北海道立近代美術館(近美)が転機を迎えています。開館以来45年を経て老朽化が著しい施設をどのように整備していくか、北海道教育委員会が2022年2月に設置した「これからの北海道立近代美術館検討会議」で議論が続けられています(参考資料)。

 道が行った近美の施設診断によれば、長寿命化に向けた改修が不可欠ながら、収蔵品の一時移転が難しいため「執務並行型改築」の整備はできない。つまり現施設を運営しながらの補修やその場での建て替えではなく、移転新築することが前提となります。一方で、近美に隣接する知事公邸エリアの活用を研究するなかで、その居住区域跡地に近美を移転する案も浮上しました。

 『芸術論評』第14号の後記で書いたとおり、個人的には、近美の前身であった北海道立美術館が建設された当時(1967年)のような、新美術館を待望する熱気が感じられないことが気になります。札幌コンサートホールKitaraは、建設前にパイプオルガン設置運動が起きたことでオルガン付きの音楽専用ホールとなり、札幌文化芸術劇場hitaruは四面舞台を待望する熱心な声があって、道内初の多面舞台が実現しています。道財政の慢性的な厳しさを考えれば、求めもしないものが棚から落ちてくることは考えにくいでしょう。

 そこで北海道アートフォーラムでは、美術館のあり方に関心を寄せる人たちに、寄稿や談話の形で「これからの近美」について言葉を寄せていただくことにしました。近美の現状への意見や「シン・近美」への期待、北海道という立地条件を離れて「理想の美術館」とは何か、など、さまざまな声を定期的に掲載していきたいと思います。題して《わたしたちの美術館は》。第1回は、美術家の阿部典英さん、網走市立美術館館長の古道谷朝生さんです。これを読まれて「私もひと言もの申したい」と思った方からの立候補もお待ちしております。

 「これからの北海道立近代美術館検討会議」は5回目の会合が9月7日に開かれ、新たな近代美術館のミッション案が提示されました。北海道新聞では、検討の過程で「近代」の名称についてさまざまな意見が出ていると紹介されました(「道立近代美術館、名称から「近代」外す? 道教委の専門家会議で浮上 多様な展覧会の実態に合わず」、9月11日朝刊社会面)。「名は体を表す」という言葉もありますが、「近代」を残すか外すかの皮相的な二項対立ではなく「わたしたちの美術館」はどうあるべきかという本質的な視点をふまえて議論したいと考えます。道は、民間企業による近美&知事公邸エリア一帯の活用案を公募しており、近くその結果を公表するとしています(9月末時点で未公表)。

(古家昌伸)

■参考資料 これからの北海道立近代美術館検討会議(北海道教育委員会サイト)

https://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/korekarakinbi.html

 


 

1 阿部典英さん(美術家、小樽在住)

 そもそも45年前、近美を建てた目的はなんだったのかを思い出したい。目的がふたつあったはず。ひとつは先達の美術を顕彰すること。作品の収蔵や展示を含めてね。もうひとつは、北海道の美術の振興だった。ここ何年かは、この振興の部分が足りないと思う(今年は釧路の羽生輝さんの個展があって、よかったが)。

 かつて近美は、作家にとって刺激になる企画展を美術館主催でやっていた(注2)。たとえば作家50人なら50人を選抜して開催したので、そこに選ばれることがうれしかった。映像をテーマとしたこともあり、若い人の自信にもなった。これらは学芸員や評論家が出展作家を選定した。選ばれるには、まずギャラリーなどでの展覧会を、彼らに観てもらう必要がある。また、委員の側も作家の個展やグループ展をまめに観にきていた。そういう関係がいまは乏しいんじゃないだろうか。

 北海道立美術館(1967年開館)以来、美術館は北海道の美術の起点になってきた。その周りにギャラリーがあって個展やグループ展の活動が行われ、そこから美術館で展示されるような作家が育ってきた。いま北海道の美術が衰退し、弱体化しているのは、その循環がうまくいってないからではないか。美術振興のブレーキになっている。そしてメディアにも、作家を育てる責任は大いにあると思う。

 だから、近美の建物うんぬんの前に、北海道の美術はいまどうなのか、どうすべきなのかを、関係者が集まって真剣に議論しないといけない。たしかに「古代エジプト展」は人が入りましたよ。「国宝法隆寺展」も入るでしょう。これらの巡回展をやったり、道外から注目される作家を呼んだりするのがダメというわけではない。だけどバランスが必要です。

 これから美術館が生まれ変わるとしたら、若い作家にとって勉強になる、刺激になるような新しい種をまいてほしい。たとえば海外の美術館では、小さなギャラリーを併設して、若手の個展をやっている。大きな企画展を観にきた人が、個展も観てくれる。もちろん誰の作品を展示するかは学芸員が選ぶ。予算確保が難しければ、搬入・搬出は自分でやってもらってもいい。学芸員はいま地元にどんな作家がいるかを普段から勉強し、きちんと位置づけする。あとで作家が成長したとき、美術館のギャラリーで展示したことが転機になったというケースも出てくるかもしれない。

 よく予算がないから、思い切ったことができないと言うけれど、作家に寄り添って一緒にやろうという気持ちになれば、予算はなくても工夫はできるはず。資金を集める方法を考える体制を構築するなど、新しい建物を造るだけじゃなくて、そういうことを含めて原点に帰って、いまから北海道の美術のあり方を考え直さなければならないと思います。(談)

注2:具体的には、北海道現代美術展(1978〜82年)やイメージ展(1982〜87年)を指す。北海道現代美術展は「北海道在住及び出身作家の優れた作品を展示して一般の鑑賞に供し、北海道美術の現況を紹介するとともに、作家の顕彰を行い、北海道における美術文化の信仰をはかろうとするものである。」が趣旨だった。イメージ展は「一年ごとにイメージ・テーマを設定する課題展」であり、第1回は「北方(きた)のイメージ」、以降「イメージ道」「イメージ水」「イメージ群」「イメージ響」「イメージ動」のテーマを冠した。(吉田豪介『北海道の美術史〜異端と正統のダイナミズム』より)

 

 古道谷朝生さん(網走市立美術館館長)

 1981年(昭56)、中学3年美術部員であった私が初めて訪れた美術館が北海道立近代美術館でした。開拓記念館、青少年科学館などと共に修学旅行コースに組み込まれていたものでした。特別展は旭川に縁の深い郷土作家『上野山清貢展』であり、常設展には神田日勝や岩橋英遠などがあり、なかでも心の中に残ったのは松樹路人の『M氏の日曜日』でした。女満別の中学から汽車通で網走の旧制網走中学(現・網走南ヶ丘高校)へ通ったことは、私と松樹先生の高校時代と同じであったが、当時の私は知りませんでした。ただ、あの日から空を眺める度に気球が浮かぶ絵を思い出していました。網走市に美術館があることを知ったのは、高校生になってから。『佐藤忠良展』を同館で観て驚きました。その後は寄ることができる美術館があれば訪れたくなりました。旭川では中原悌二郎の作品、函館では田辺三重松などに感銘を受けました。 

 初めての美術館があったから、そこに素晴らしいコレクションや企画展があったから2回目、3回目と訪れることになったし、現在の自分があるとも思います。今年で網走市立美術館は50周年の記念年を迎え、特別展を開催しています。一つ目は『海洋堂エヴァンゲリオンフィギュアワールド』で、モデリングで作られたフィギュアをジオラマにした作品を展示しました。これは、夏休みの期間に親子で楽しんでもらいたいと企画しました。二つ目は『西洋近代絵画展』で教科書に出てくるような著名作家作品を展示しせっかくの50周年記念なので多くの方の「初めて」が増えるようにとの企画です。三つ目は『長谷川誠日本画展』です。郷土出身の日本画家で近年故人となられました。この展覧会は郷土の美術館としてしなければならない展覧会です。 

 初めての美術館見学から40年が経過し、現在自分自身が美術館に勤務して25年が経ちました。身体のあちこちにガタがきており、脚立の昇り降りがきつくなってきました。私より少し若いはずの美術館も躯体やボイラー、配水管等に老朽化が進んでまいりました。また、美術館は博物館ですので資料(作品や作家に関わるもの)が増えてまいります。収蔵庫がだんだん手狭になっているのは当館だけではないと思います。当然、修理、改築なども出てくることも予想されます。

 今後、北海道を代表する道立近代美術館がリニューアル建築されるのであればお願いしたいことがあります。それは、コレクションの充実です。北海道立の美術館は近代美術館、三岸好太郎、函館、旭川、帯広、そして釧路芸術館とそれぞれ特色を持っています。これからも時代に沿ったコレクションの収集と研究、公開をお願いしたい。そのためには広い収蔵庫、保存や修復など研究施設も併設していただきたい。美術館は美術博物館ですので、その時代を映す作品収集は義務であり、収蔵庫やバックヤードはできるだけ広いスペースであってほしい。

 また、作品だけでなく、写真資料や本などの資料を学芸員が調べることができる資料図書館もあるとよいと思います。美術館の職員や学芸員が動きやすく研究や研鑽を積むことができれば、必ず鑑賞する道民に還元できるはずです。そして道民が胸を張り「私達には素晴らしい文化芸術の施設がある」と宣伝してくれるでしょう。

 次に常設展の巡回です。これは既に行われているかもしれませんが、各館の常設を巡回する展覧会です。企画展も面白いのですが、普段と違う館の常設展示を鑑賞すると、また別の興味がでてきて、他の館にも出かけてみようとなります。

 最後に、デジタルの展示室です。映像のアートを展示できる展示室を作れないでしょうか。様々な表現の中で、アニメーションや映像作品が発表できる展示室があると、「初めて」の鑑賞者も増えるのではと思います。以上、私の願望と妄想とでございます。市町村立ではなかなか難しい作品や体験を道立館さんにお願いしたいと勝手に思っております。

(第1回完)

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