岩橋英遠の「風の記憶」/古家昌伸

岩橋英遠の「風の記憶」/古家昌伸

 けっこう風が強い町だなあ。

 2023年春から、國學院大学北海道短期大学部の兼任講師として週に一回、札幌からJRで1時間弱の滝川市へ通っている。まず感じたのは風の強さだ。地元の人に「滝川は風が強いですね」と問うと、決まって「そうですよ」と返ってくる。滝川はスカイスポーツが盛んな町として知られているし、開拓期に戸長役場が設置されて百年の節目に当たる1990年には、市のイメージソングとして『風がみつけた街・滝川』が作られていることも、のちに知った1

 だから、滝川市美術自然史館で開かれた特別展「虹の記憶―生誕120年 岩橋英遠展」を観て、真っ先に探したのは「風の絵」だった。1903(明治36)年に江部乙村(現滝川市江部乙町)で生まれた岩橋英遠は、21歳で上京するまで郷里ですごした。日本画の大家となったのちも「自分の体の細胞の中に江部乙の土も空気も、風景も全てがしっかり組み込まれて」いたと述べている(120年展のパネル「ふるさとの中学生にあてた手紙から」)。ならば英遠少年が目の当たりにした「滝川の風」が描かれた絵が、あってもおかしくはないだろう。そう推測したのだ。だが展示室には、ひと目で風が吹いているとわかる絵はなかった。

「虹の記憶〜生誕120年 岩橋英遠展」チラシ
2023年9月2日〜10月15日 滝川市美術自然史館

 展覧会の目玉は北海道立近代美術館(道近美)所蔵の大作《道産子追憶之巻》の〝高精密複製画〟である。英遠が生まれ育った江部乙の光景をモチーフとする四季絵巻。英遠芸術の普及・調査・研究に取り組んできた地元のNPO法人岩橋ふるさと北辰振興会が、「滝川の人たちにもこの絵に親しんでほしい」との遺族の希望を受け、大日本印刷に制作を依頼した。約1億100万画素という驚くべき高画素数により、隅々までの再現を追求した複製画は2023年、滝川市に寄贈された。

 そのお披露目となった展示室。幅29mにも及ぶ大作絵巻のうち、最も広い面積を占める冬の領域には、吹雪の図は見られない。白く輝く雪原、黒く深い針葉樹の森、雪に埋もれてひっそり暮らす家族や動物たちである。《道産子追憶之巻》以外にも数多い風景画の雄大な山々も、静けさに包まれ、一筋の雲が見られるような静穏な描写がほとんどだ。

 それなら、と英遠の画集や展覧会図録に当たってみる。やはり風の絵は容易に見つからない。

120年展のギャラリートークで《道産子追憶之巻》の高精密複製画について解説する河野敏昭学芸員

 なぜだろう。120年展を企画した河野敏昭学芸員は「確かにあまり見ないですね。ただ、英遠がアヴァアンギャルド(前衛)に傾倒していた若いころ、《都無ぢ(つむぢ)》という絵を残しています」と教えてくれた。同じく道近美が所蔵する1940(昭和15)年の作品で、120年展にも同系統の〝イメージ画〟が飾られている。これがなんとキュビスム(立体派)ばりの抽象的な絵だ。英遠としては珍しい部類に属する興味深い画風で、《都無ぢ》は自由奔放に吹く「つむじ風」を表していると言われればそのように見えてくるが、写実的な「風」ではない。

岩橋英遠《都無ぢ(つむぢ)》 1940 (昭和15)年 紙本彩色 88.7×88.5㎝ 北海道立近代美術館蔵

 もう少し粘ってみた。道近美で日本美術を専門とする土岐美由紀学芸統括官に尋ねて《風雪の名瀑(風・雪)》の存在を知った。那智と華厳の名瀑二つを描いた一対である。土岐は「自然の営為そのものを描く英遠の特色が出ている」という。「風」と名付けた一枚は、落下する水が風にあおられ飛沫となった様子が描かれている。流れ落ちる端正な滝にではなく、刻一刻と表情を変えるありのままの姿に目を向けたのはユニークな着眼点であろう。だがこれも滝川の記憶とは結びつかない。

岩橋英遠《風雪の名爆(風)》 1968(昭和43)年 紙本彩色 181.5×105.3㎝ 北海道立近代美術館蔵

 それとも冒頭の「風が強いまち」という印象が間違っているのだろうか。試みに気象庁のホームページで、滝川と札幌の風速の記録を比較してみた。意外にも、近年の月平均風速、最大風速、最大瞬間風速の数字は、ほとんどの月で札幌の方が大きい数字となっている。滝川が特に風が強いというわけではないのか2

 次に『滝川市史』(1962)と『滝川市史・上巻』(1981)をひもとく。いずれも気象の項に「四、五月は風が強い」と記されている。月の最大風速が秒速20mという記録もあった。どうやら年がら年中、風が強いわけではなさそうだ。かつて道近美が刊行していたミュージアム新書の『岩橋英遠―道産子の眼』の著者で、かつて画伯に何度もインタビューしている奥岡茂雄・元道近美学芸副館長は「英遠さんから江部乙は寒かった、とは何度も聞いたが、風の話は聞いたことがない」と即答した。

 こうなると英遠には「風の記憶」があまりないのも無理はないのかもしれない。そう思いながら再び120年展をめぐってみる。アトリエを再現したコーナーに、ハレー彗星を描いた未完成の習作が飾ってある。約75年周期で巡ってくるハレー彗星を「生涯で二度見たことが自慢」と画伯は語っていたという3。その最初の機会は1910(明治43)年、7歳のときだった。英遠には同じくハレー彗星をモチーフにした《茫》(1985、春の院展)がある。こちらには習作に見られる線はないが、モチーフとなる体験は同じだったことは一目瞭然であろう。

岩橋英遠 習作(ハレー彗星) 制作年不明 NPO法人岩橋ふるさと北辰振興会所蔵

 山々の上空を彗星が尾を引きながら右から左へと飛ぶその絵に、無数の黒い横線が描かれているのにふと目が止まった。河野学芸員によると、他の風景画にもこうした線はしばしば現れる。《道産子追憶之巻》にも、夏から秋にかけて緑から黄金色に移っていく田んぼに、畦道のような線が描かれている(右上アイキャッチ画像参照)。画伯は線の正体を「電線だよ」と笑って明かしたそうだが、どうだろう。画面に奥行きを与える視覚効果もあるはずだ。

 一方、ハレー彗星の習作では地平ではなく中空に、何かが飛び交っているように力強い線が引かれている。こんな表現は画集でもお目にかかれない。そして思い当たった。1910年のハレー彗星の記録を調べると、はたしてそうだ。彗星が肉眼で観察できたのは4月から6月にかけて。英遠少年が目撃したのは、一年で最も風が強い季節だった。もしかすると……。

 前述の気象庁のホームページでは、滝川の風の記録は1970年代半ばが最も古い。念のため札幌管区気象台に問い合わせても「サイトに載っていないデータはありません」というつれない返事。

 そんなはずはない。気象庁ができる以前の測候所や観測所の記録があるだろうと、国立国会図書館のオンライン閲覧システムで測候所の記録『気象要覧』に当たってみる。あった。1910年5月の14日から15日にかけて、強い勢力の低気圧が北海道を覆っていた。日本海側の寿都町では14日の正午、毎秒38.1mという超大型の台風並みの瞬間最大風速を記録している。ピンポイントで滝川の数字はないものの、道東でも20mを超える地点があり、全道的に強い風の日だったことは疑いもない。

『気象要覧』より
「蒙古ヨリ来タリシ大陸低気圧 此低気圧ハ十三日満州ニ顕ハレ東南東ニ進ミ十四日ノ朝浦塩ノ南方ニ到着シ夫レヨリ東北東ニ転向シ北海道ヲ襲ヒ十五日ノ朝太平洋ニ入ル左ニ中心ノ進行速度ヲ掲ク」
「此低気圧ハ深厚ナラサリシモ北海道ニ頗ル強キ風雨ヲ起コシ沿岸地ニ於テハ風力烈風ニ達シタル所多ク寿都ニテハ十四日正午風速毎秒三十八米ニ及ヘリ然レトモ幸ニ著ルシキ風水ノ害ハナカリシカ如シ今中心ノ経路付近ノ測候所ニ於テ観測セル最低気圧及最大風速度ヲ挙クレハ次表ノ如シ」(漢字は新字体に治した)

気象庁編『気象要覧』1910(明治43)年5月、pp.16-18、暴風雨の項(国立国会図書館所蔵)

 ここからは妄想にすぎない。江部乙の生家。強風が家の壁や窓を叩く夜、怖いもの見たさで表に出た英遠少年は、田園の暗い夜を妖しく照らす「ほうき星」を目にする。見上げた空、びゅうびゅうと吹く風。それから何十年かたって昔を思い出して描いた絵に、無意識のうちに心に刻まれていた「風の記憶」が浮かび上がってきたのだ。

 120年展の四つのセクションの最後は、英遠が雲や流水、宙(そら)など、身近な自然に目を向けた絵を集めた。晩年近くに繰り返し描かれた一連の雲の絵は、それらに先立つ1979(昭和54)年の大作《彩雲》(北海道立釧路芸術館所蔵)をも想起せずにいられない。画家の自然を見つめる眼の確かさ。その原点には、少年の科学する心に火をつけた彗星の光景と、一夜の風の記憶があったのだろう。英遠さんに尋ねたら、笑って「違うよ」と言うかもしれないけれど。

古家昌伸(北海道芸術文化アーカイヴセンター代表)


アイキャッチ画像は、岩橋英遠《道産子追憶之巻》(1978[昭和53]年 紙本彩色 60.7×2908.8㎝ 北海道立近代美術館所蔵)の部分

脚注

  1. 1991年刊行の『滝川市史・続巻』には『風がみつけた街・滝川』の表記で楽譜まで掲載されているが、JASRACに登録された題名は『風が見つけた街・滝川』である。作詞は地元の高校教師だった高橋啓治、これを旭川在住の作曲家・鈴木宗敏が補作し、『長崎は今日も雨だった』などで知られる彩木雅夫(帯広出身)が曲をつけた。歌ったのは往年の人気デュオ「ダ・カーポ」。〈風がみつけた街は 青い空のもと/彩(いろ)とりどりにコスモスが うたっているよ〉〈風がみつけた街は 青い空のもと/憧れのせてグライダー 飛んでる街よ〉。こんなフレーズがある。
  2. 余談になるが、滝川でアメダスによる観測が始まった1970年代半ばの数字も比べてみた。すると滝川と札幌の風速はほぼ同程度の記録となっていた。気候変動の影響もあるのだろう。
  3. 河野学芸員の弁。

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