「かわいい」の歴史と理論 01/春木有亮

「かわいい」の歴史と理論 01/春木有亮

「かわいい」論の二つのピーク

 「かわいい」1を論じたい。と言えば、もはや聞きなれた、のみならず、聞きあきたというひともあろう。だから、「「かわいい」については詳しい説明は不要」2とも言える。たほうで、「でも、「かわいい」って何でしょうか。改めて聞かれると、うまく答えられません」3という素朴な自問自答もまた、けっして少数派のものではないであろう。
 なぜ「かわいい」は、何度も論じられてきた気がするのに、その輪郭は茫洋たるままなのか。そもそも「かわいい」は、いつどのようにひとびとの関心をひき、どのように論じられてきたのか。まともに・・・・論じられたことは、どれほどあったのか。そうした問いが本論の起点にある。
 このあと見ていくとおり、「かわいい」が議論の俎上にのせられるようになるのは、1960年代の終わりである(その理由もまた、あとで述べることになる)。それから約半世紀のあいだ、「かわいい」は論じられ続けるが、こまやかに見れば、その議論の高まりに、二つのピークがあることに気づく。
 一つは、1980年前後のことばの流行を起点とする。流行の内実は、外延の膨張とそれと相関する使用頻度の増大である。とりわけ「女の子の「カワイーイ」連発症候群」4に即応するしかたで、80年代後半から、おもに文化論上の視点からいくらかの報告と分析がなされる。90年代なかばまでには、二つの総論風の論考(社会学研究とエッセイ)5も出る。
 もう一つは、世紀をまたいで2005年ごろに兆す。10年代はじめの「クールジャパン」政策6の始動時期を中心に据えるかたちで、2015年ごろまで続く流れである。本、論文の数は、第一次ピークに比べて増大する。目につくのは、情報学、工学、実験心理学など、いわゆる理工系統の学問が参入してきた7ことである。
 第二次ピークの文献群は、多量である反面、玉石混交である。まさにクールジャパンの身ぶりをなぞるしかたで、「かわいい」を語ることへの共感を見すえたものもすくなくない。図式化して言えば、第一次ピークの議論は、直接に「かわいい」の流行を焦点化していたが、第二次ピークの議論は、「かわいい」論の流行を内面化してもいた。

『「かわいい」論』のねじれ

 2006年の四方田犬彦による、文字どおり『「かわいい」論」』が、第二次ピークのいわば皮切りであった。後続の研究や著作の多くが、同書を参照した。じっさいその書きだしは、「一度たりとも正面きって分析の対象とされていなかった現象についての、最初の書物である」8と大上段にかまえている。
 たほうで四方田は、「かわいい」を「多角的に論じ」9る「本書が一見錯綜した印象を与え」10、「充分に展開されているとはいい難い部分もある」ことを認める。「かわいい」は「とらえどころのない何者かである」11と結論を避け、「専門的に論文を執筆してくださる方が輩出することを」12期す。
 傲慢とも謙虚ともとることができる『「かわいい」』論の身ぶりには、ねじれがひそんでいる。四方田は、「共時的な認識と通時的な認識とを同時に働かせ」13ることを必須とし、清少納言『枕草子』や太宰治『女生徒』を引く。しかし、第一次ピークの「かわいい」論を参照することは、ほとんどなかった。
 たほうで、『枕草子』、ならびに古語に対する言及は、1994年の増渕宗一『かわいい症候群』にすでにあった14。また、四方田自身が「かわいい」に関心をもつきっかけとなった「天皇」15と、「エピローグ」で引く「連合赤軍」は、1990年前後の大塚英志の「かわいい」論16のモチーフであった17。しかし、増渕、大塚が引かれることはない。
 こうした四方田の筆致のいびつさを、仲俣暁生もまた、指摘している18。仲俣によれば同書は、それまでの「かわいい」論が提示する「歴史主義的な見方に修正を求める」19。すなわち、「超歴史的」、「特殊日本的」な「かわいい」を説き起こす。ただしその裏で、先行の「かわいい」論が「恣意的に迂回されている」、と言う20
 第一次ピークの論考は、「かわいい」ということばの流行に即応するしかたで、いくらかの同時代分析を遂行した。それを、四方田はおそらく、「共時的な認識」ばかりに邁進したとみなす。ゆえに、「通時的な認識」の大事さを標榜し、20世紀前半以前へと「かわいい」の流れを遡行しようとする。
 視野狭窄になりがちな「現代日本」の社会論や文化論を超えた「美学」を志向すること自体は、よい。そのもくろみにとって、先行の論考が引くに値しないというなら、それもよい。しかし問題は、四方田の側に、そのいわばまたぎ越しを正当化するに足る方法論がないことだ。たとえば、『「かわいい」論』第1章の理路を見てみよう。
 四方田は、「かわいい」が、日本のみならず世界を席巻しているという「現象」を描写する21。ついで、「かわいい」の美学は、『枕草子』以来の日本固有の「伝統」だと言う。たほうで、「もののあはれ(十一世紀)」、「幽玄(十三世紀)」、「わび(十六世紀)」、「いき(十八世紀)」に連なる「二十一世紀の日本の美学」だともみなす22
 要約すると、こうだ。「かわいい」は、日本の美学であり、世界の美学である。「かわいい」は、11世紀以来の日本の美学であり、21世紀の日本の美学である。「錯綜」というよりは、無節操。細部のあげ足どりをしているわけではない。こうした論理の欠陥、あるいは理論の欠如が、『「かわいい」論』全体に通底する。

「かわいい」論と、歴史認識

 そこで得られる「通時的な認識」はせいぜい、「かわいい」に類する情感23が11世紀以来ある、ということだ。その認識を四方田は、「「かわいい」文化は、何も現在のサブカルチャーに限定されたものではなかった」24と読みかえもする。が、「かわいい」に類する情感の存在がつねに、「「かわいい」文化」の存在を保証するだろうか。
 「「かわいい」文化」は、第一次ピークの「かわいい」論が生んだ概念である。大塚は、「かわいいカルチャー」を、近代から続く「「少女文化」が、「昭和四十年代後半から五十年代初め」に、「商品群」とともに「はっきりと目に見えるひとつのマーケットを形成するようになった」25ものと定義する26
 「かほはゆし」にも言及する大塚が、「かわいい」が、「かわいいカルチャー」以前に流通していることを知らないわけはない。1970-75年の「ビッグ・バン」を経た「少女文化」を「かわいいカルチャー」ということばで「名づけ」たにすぎない27。よって、「「かわいい」文化」はそのはじめから、「かわいい」の再発見を内包している。
 言いかえれば、「かわいい」論の問題意識はそもそも、「かわいい」が現れたことにではなく、「かわいい」があらためて・・・・・現れたことに、ある。よって、「かわいい」を論じようという発想そのものが、歴史認識を孕んでいる。いわば「かわいい」ルネサンスの時点をより精確に突きとめ、その経緯と構造をあきらかにすることが、第一の課題である。
 かりに仲俣が言うとおり、四方田が非「歴史主義的な見方」をするとしても、「通時的な認識」と「共時的な認識」の両立を掲げる点で、『「かわいい」論』は、むしろ歴史を描くプログラムであった。だから、『「かわいい」論」』は、全体で一つの歴史認識に収斂することではじめて説得力をもつことになる。
 そのために、通時的な認識と共時的な認識は、ていねいに織りあわされるべきであった。が、『「かわいい」論』においては、もろもろが、ばらばらに提示される。四方田は、見聞きしたものを思いつくままに報告し、いわば、数うちゃあたる式に仮説を羅列する。はたして、「論」は破綻する。
 破綻の一因は、先行の成果をあえてまたぎ越そうとしたことにある。直前の共時的な認識をひき継ぎつつ、近い範囲での通時的な認識を得ることもまた、大事ではなかったか。そうした歴史認識を確保することで、われわれ・・・・がそもそもなぜ、「かわいい」を論じることになったのか、その発端の問題意識を確認できるからだ。

「かわいい」論は、かわいい

 四方田批判が目的ではない。着目すべきは、四方田自身が言うとおり「「かわいい」は歴史を無効とし」28ているとすれば、それと類比的に、『「かわいい」論』もまた、自身が竿さす歴史を等閑視している、ということだ。すなわち、「かわいい」論の歴史を、である。
 あることばのありかたが、当のことばの論じかたにスライドしていくという感染現象それ自体は一考に値する。しかし問題は、2006年の『「かわいい」論』以降、堰を切ったようにあふれた「かわいい」論の多くが、同書の身ぶりをなぞっていたことだ。
 たとえば、2005年からの研究をまとめた、真壁智治◎チームカワイイ『カワイイパラダイムデザイン研究』(平凡社 2009年)は、『「かわいい」論』を、「かわいい文化論として歴史的・社会的・美学的な背景と動向の消息を考察した「最初の書物」」と紹介する。
 2006年からの研究をまとめた、大倉典子編著『「かわいい」工学』(浅倉書店 2017年)は、『「かわいい」論』を、「「かわいい」という言葉を真正面から取り上げている」29、「日本人自身が「かわいい」という感性価値を分析した初めての著作」30とし、「「かわいい」という価値に関する記述の起源は、枕草子の…」31と内容を引く。
 両者ともに、『「かわいい」論』以前の論考をいっさい参照していないわけではない。しかし、『「かわいい」論』が、「かわいい」論の出発点であるかのようにとらえている。両者はあくまで例にすぎない。第二次ピークの本、論文では、とくに「四方田によれば『枕草子』に」というパタンの記述が、くり返し現れることになる。
 四方田/『枕草子』を引くことで「歴史」を顧慮したことにするという身ぶり自体が、歴史を蔑ろにする。こうして、第一次ピークと第二次ピークのあいだに、ある断絶が生まれる。つまり、第二次ピークの「かわいい」論は、『「かわいい」論』を語ることで、「かわいい」論の歴史を語らなくなり、「かわいい」の歴史を語らなくなった32
 また、そのこと自体が、「かわいい」論の歴史であるとも言える。『「かわいい」論』は、「歴史主義」に埋没しないしかたで「かわいい」の歴史を描こうとした。しかし、それが後続の論に与えたのは、皮肉なことに、「かわいい」を「歴史」ぬきで語ってよいという免罪符であった。
 それぞれの論者の資質の問題だと言えば、そうでもある。逆から言えば、「かわいい」を論じることは、その程度・・・・でも赦されることになったということでもある。その点で、「かわいい」論は、「かわいい」の「媚態」を借りてもいる。『「かわいい」論』が切り開いたのは、まさに「無罪性と安逸さに守られたユートピア」33である。
 ユートピアに住まうことで、「かわいい」論は、「論」でなくなってしまいがちになる。ここで、冒頭の問題意識が浮上する。「かわいい」論に辟易してくるとすれば、それは、われわれがもはや、「かわいい」論に説得力を期待しなくなってしまっているからである。
 歴史を語ることが大事であるのは、「事実」や「真実」を得られるからではない。歴史という他者に対峙するという態度を通じて、おのれのことばを律することができるからだ。歴史を語ることで理論が構築され、理論を語ることで歴史が構築される。まずは、そうした論述のダイナミズムを、「かわいい」論にとり戻したい。

(02につづく)

春木有亮(北見工業大学准教授)

脚注

  1. 本論文では、「かわいい」、「カワイイ」、「kawaii」、「カワユイ」、「カワユーイ」、「カワイーイ」、「カワイー」などを、同じことばの別の表記(あるいは、別の発音に基づく別の表記)であるとみなし、「かわいい」をそれらの代表とする。
     それらを同じことばであるとみなす原理は、いわゆる家族的類似性に行き着くであろう。すなわち、すべての表記に共通する性質はないが、個々の表記が、他のいずれかの表記と、同じことばの別の表記であるという関係を持っているということである。また、そうであることは、 個々の表記にかんして、帰納的に示さざるをえない。
     したがって厳密には、先のいくつかの表記を、「かわいい」という同じことばの別の表記とみなすこと自体は、論点先取である。しかし、便宜上そうしたい。また、「かわいい」の表記が多様であるとして、それにどういう意義があるか、また、表記ごとにどういうちがいがあるかを見きわめることがまた、大事でもある。
     その理由も含め、同様の事情を、「かっこいい」にかんして、拙論「「かっこいい」は、カックイイ ──「流行語の流行」と、感じることばの生成」(『北海道芸術論評』13号 北海道芸術学会 2021年 pp.3-98)に記したので、参照いただきたい。
  2. 伊藤氏貴『美の日本 「もののあはれ」から「かわいい」まで』 明治大学出版 2018年 p.190
  3. 入戸野宏『「かわいい」のちから 実験で探るその心理』 化学同人 2019年 p.1
  4. 「余録:カワイイ族と国旗」『毎日新聞』1984年5月14日 東京朝刊 1面 12段目
  5. 宮台真司、石原英樹、大塚明子『増補 サブカルチャー神話解体――少女・音楽・マンガ・性の変容と現在』ちくま文庫 筑摩書房 2007年(初出:『サブカルチャー神話解体――少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』 パルコ出版 1993年)、増淵宗一『かわいい症候群』 日本放送出版協会 1994年
  6. 官民ファンドであるクールジャパン機構(株式会社海外需要開拓支援機構)の設立(2013年)と運営を軸にして、日本の文化的価値を高めることで経済振興をはかるプロジェクトである。
    クールジャパン機構サイト https://www.cj-fund.co.jp/about/cjfund.html (2022年2月19日取得)
  7. たとえば、下記の論考がある。

    荒井良徳、佐藤杏子「化粧による「かわいい/きれい」の印象変化の検討」『第21回ファジイシステムシンポジウム講演論文集』 日本知能情報ファジイ学会/国際ファジイシステム学会 2005年 pp.614-619.

    大倉典子、青砥哲朗「かわいい人工物の系統的研究」『横幹連合コンファレンス予稿集』 横断型基幹科学技術研究団体連合 2007年(同論をはじめとする、大倉典子らの一連の工学研究があり、それらは、大倉典子編著『「かわいい」工学』(浅倉書店 2017年)にまとめられている。)

    入戸野宏「“かわいい”に対する行動科学的アプローチ」『人間科学研究』第4巻 広島大学大学院総合科学研究科 2009年 pp.19-35(同論をはじめとする入戸野宏らの一連の心理学研究は、入戸野宏『「かわいい」のちから 実験で探るその心理』(化学同人 2019年)にまとめられている。)

    望月登志子「「かわいい」形態のもつ知覚特性」 日本認知心理学会第9回大会 日本認知心理学会 2011年 p.99

    蘆田宏、藏口佳奈「顔魅力の効果と諸要因について:かわいいと美しいを中心に」『VISION』25巻2号 日本視覚学会 2013年 pp.95-99

  8. 四方田犬彦『「かわいい」論」』 筑摩書房 2006年 p.022
  9. 四方田『「かわいい」論」』2006 p.021
  10. 四方田『「かわいい」論」』2006 p.191
  11. 四方田『「かわいい」論」』2006 p.021
  12. 四方田『「かわいい」論」』2006 p.191
  13. 四方田『「かわいい」論」』2006 p.018
  14. 増渕『かわいい症候群』1994 pp.175-205
  15. 四方田『「かわいい」論」』2006 p.010
  16. 大塚英志『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』 角川書店 2003年(所収の「少女たちの「かわいい天皇」」の初出は1988年、「「かわいい天皇」のゆくえ」の初出は、1989年)、大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』 角川書店 2001年(初出は96年)(所収の「〈かわいい〉の戦後史」(原題「「かわいい」の誕生」)の初出は、1990年)
  17. ただし四方田は、「連合赤軍」に言及するくだりで、おそらく大塚を想定して、「現代 社会におけるサブカルチャーの重要性を喧伝するという論客が、いささか強引な論陣を 張っていた」(四方田『「かわいい」論』2006 p.196)と、一蹴している。
  18. 仲俣暁生「書評 四方田犬彦『「かわいい」論』――「かわいい」の「政治性」をめぐって」『文学界』第60巻3号 2006年 pp.249-252

     仲俣によれば、ここで言う「歴史主義的な見方」とは、「「かわいい」ものの氾濫は、ある時代精神を担ったものである」、とする見方である。先行の論考では、「生産社会から消費社会へと移行した」、あるいは「「大きな物語」が喪失されていった」と時代を分析しつつ、「かわいい」感性の勃興が説明される(仲俣「書評 四方田犬彦『「かわいい」論』」2006 p.250)。
     四方田自身の記述では、たとえば、「「かわいい」を後期資本主義社会の世界的現象とのみ理解する」(四方田『「かわいい論」』2006 p.018)ことが「歴史主義的な見方」にあたるであろう。よって、後期資本主義社会ではない社会において「かわいい」現象があることを示せば、「歴史主義的な見方」に対する批判となる。が、そのばあい、「かわいい」現象がなんであるかを、精確に規定すべきである。

  19. 仲俣「書評 四方田犬彦『「かわいい」論』」2006 p.250
  20. 仲俣「書評 四方田犬彦『「かわいい」論』」2006 p.250
  21. 四方田『「かわいい」論』2006 pp.008-017
  22. 四方田『「かわいい」論』2006 pp.017-018
  23. より具体的には、「小さなもの、脆弱なもの、他者の庇護を必要とするものに対する情感」(四方田『「かわいい」論』2006 p.036)である。
  24. 四方田『「かわいい」論』2006 p.036
  25. 大塚英志『少女民俗学 世紀末の神話をつむぐ巫女の末裔』 光文社 1997年(初出1989年) pp.48-49
  26. 「かわいいカルチャー」は、大塚の用語であり、「「かわいい」文化」とかならずしも同じではない。また、「「かわいい」文化」の内実は、四方田がそれを明確に定義していない以上、わからない。
     ただ、大塚の「かわいいカルチャー」の内包は、たとえば山根が言う「変体少女文字に象徴される新しい文化」(山根一眞『変体少女文字の研究』(文庫版)講談社 1989年(初出は、1986年)p.237)の内実を、より具体化し、厳密化したものであると言える。また、増渕の言う「かわいい文化」は、「かわいいモノ」の大量生産と大量消費を前提とする(増淵『かわいい症候群』1994 p.146)点で、大塚の「かわいいカルチャー」の定義をひき継いでいる。
     さらに、「またあの“かわいいカルチャー”論か!」と思われてしまいがちなのですが」(宮台ほか『増補 サブカルチャー神話解体――少女・音楽・マンガ・性の変容と現在』2007(初出1993))との言及のされかたを見ても、第一次ピークの「かわいい」論において、「かわいいカルチャー」は認知され、「かわいい文化」に置きかえることができる一定の汎用性を得ていたと言える。ただ、あくまでムーヴメントをともなっていることが、その特質である。
     「「かわいい」文化は、何も現在のサブカルチャーに限定されたものではなかった」と四方田が言うとき、「現在のサブカルチャーに限定され」てきた、既存の「「かわいい」文化」は、実質上、第一次ピークで共有されていた「かわいいカルチャー」を指すとみなしてよいであろう。とすれば四方田が言いたいのは、「かわいいカルチャー」以前にも、「かわいい」にかかわる文化はある、という程度のことだ。が、大塚以下の論者にとって、それは自明であろう。
     たほうで、大塚の「かわいいカルチャー」観に対する有効な批判もある。たとえば宮台らは、「戦前の「少女文化」の分析から導き出した〈少女〉という概念を70年代以降に当てはめるのは、奔放な〈女の子〉を前にして眼が点になった中年オジサンの投射願望」(宮台ほか『増補 サブカルチャー神話解体』2007(初出1993) p.116)であること、また、「「かわいいものの分析」から「かわいいものを媒介にしたコミュニケーション」に歩みを進めることに、失敗していた」(同書 p.128)ことを、指摘する。
     ただ大塚は、「はっきりと目に見えるひとつのマーケットを形成するようになった」ことを、「ぼくたち男性や大人の前にあらわになっている」(大塚『少女民俗学』1997(初出1989) p.48)ことと言いかえてもいる。つまり、「かわいいカルチャー」が、「男性」、「大人」の視点で構築された概念であることを自覚してはいる。
  27. 大塚の「名づけ」自体が妥当であったかを問う余地と価値は、ある。この方向では、注26の宮台らの指摘にくわえ、渡部周子(「「かわいい」の生成-1910年代の『少女の友』を事例にして」『大阪国際児童文学振興財団研究紀要』28号 大阪国際児童文学振興財団 2015年 pp.45-58)が、重要な視点を導入する。
     渡部は、1910年代の「少女」教育において、「かわいい(可愛い)」がキーワードになっていたと報告する。渡部の研究の趣旨は、そもそも「「かわいい」と「少女」が、なぜ繋がりを持つのか」(渡部周子「「かわいい」とはどのようなことなのか――『少女の友』と『少女世界』の比較を通して――」『島根県立大学松江キャンパス研究紀要』第60号 島根県立大学松江キャンパス 2021年 p.1)、その過程を明らかにすることにある。
     こうした渡部の研究は、「かわいい」と「少女」がいつ結びついたかを明らかにすることにもつながる。ゆえに、1970-75年の「ビッグ・バン」を経た「少女文化」を特徴づけるために、あえて「かわいい」を用いる大塚の語法を疑う論拠を提供することにもなるだろう。
     また、渡部自身、「戦前に「かわいい」文化は存在しなかったのか?」という問いを提示しており、その主張は、「かわいい」カルチャーを戦後以降に限定する大塚、ならびに宮台らへのアンチテーゼともなっている。たほうで渡部は、四方田の「歴史認識」を重視する態度を見せている(渡部「「かわいい」の生成」2015 p.45)。
      しかし、本論文本文で述べているとおり、四方田の「歴史認識」自体は支離滅裂なところがあり、論証のない見通しにすぎない。すくなくとも「かわいい」を「二十一世紀の日本の美学」とまとめる点で、渡部の議論の方向とは、ずれている。内容上でも、形式上でも、渡部の堅実で緻密な議論と並べるべきではない。
     渡部は、1910年代において、「かわいい」は、教育上の規範的な理念にとどまるとし、「かわいい」文化が存在したとは言いきらない。そうした慎重さに鑑みても、「かわいい」文化(カルチャー)を再考するさいには、「かわいい」ということばの流通と、「かわいい」文化の成立を分けたうえで、その関係を問うという態度が要るであろう。 渡部の議論にかんしては、のちにくわしく検討したい。
  28. 四方田『「かわいい」論』2006 p.197
  29. 大倉編著『「かわいい」工学』2017 p.6
  30. 大倉編著『「かわいい」工学』2017 p.7
  31. 大倉編著『「かわいい」工学』2017 p.6
  32. ただ、第二次ピークの論考のなかには、第一次ピークの論考を網羅しているものが、ないわけではない。また、のちに見るが、第二次ピークが終わる2015年ごろから、「かわいい」論の歴史をふりかえるいくつかの論考が出てくる。注28に挙げた渡部のものもその一つである。
  33. 四方田『「かわいい」論』2006 p.015

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