(02から続く)
ハローキティの躍進――ファン層の拡張
サンリオキャラクターの価値イメージが「かわいい」へと、サンリオのイメージがキャラクター・ビジネスへと、まとめあげられていく。さらにそこには、もう一つの動きがおり重なっている。すなわち、サンリオキャラクターのイメージが、ハローキティに代表されていくという動きである。
先の第一勧業銀行がハローキティをフィーチュアしているのは、偶然ではない。「かわいい」の流行とキティの人気上昇は時期を同じくしており、「かわいい」はその外延をキティに、キティはその内包を「かわいい」に、あずけていく。
かわいいキティは、テニスギャル。(ハローキティ テニススクールの広告)
『いちご新聞』1982年9月5日号 p.21
1974年に生まれたハローキティは、1980年ごろに一時人気が低迷するも、デザイナーのてこ入れなどによりもちなおし、90年代後半にはブームを迎える[1]。着目すべきは、このブームが、サンリオキャラクターのファンのアダルト化[2]と時を同じくしているということである。
1997年、1998年の『いちご新聞』キティの周年記事では、「芸能界」からのメッセージを届けている[3]。吉村由美(1975-)、島崎和歌子(1973-)を筆頭とするメッセージの主の多くは、1975年前後生まれの、いわゆる団塊ジュニア世代であった。つまり、ちょうどキティと同じころに生まれた世代が20代に入ったのが、1990年代後半である。
そうした当時20代の芸能人の声は、すでに見た1976年の『いちご新聞』の「この年にもなって大人げない」というたぐいの自制心を解くための免罪符となる。さらにその延長線上で、1998年のVivitix HIROMIXのヌードポスター[4]、2006年の「部屋着にしても、エロくない2❤︎」ブラジャー、ショーツ[5]などは、むしろ「大人」を積極的に売りにする。
また1990年代後半以降に、1970年代を特集するレトロスペクティヴな記事が散見されるようになる[6]。2000年以降の記事では30代の芸能人を起用しているが[7]、2002年の菊池桃子(1968-)の「お弁当」記事[8]にいたっては、母親の視点を導入する。2003-2004年には化粧水の広告が掲載される[9]。
1991年には「小さい頃「ハローキティ」に親しんだ女性たちが、母親になって自分の娘に買い与えるという“第二次キティ世代”に入っている」[10]とすれば、90年代後半には「娘」の層が厚くなり、2000年ごろまでには、ハローキティとその前後に生まれたキャラクターは二世代を貫いて消費されることになる。
さらに1998年の「ヒョウ&メイサイ」のキティ[11]、1999年のHello Kitty HOMME シェーバー、フェイスシェーバー[12]は、男性を意識したものと言える[13]。1999年にキティのボーイフレンド、ディアダニエルが登場[14]したことは、単純に男性消費者を増やすための展開ととらえられるわけではないが、男性イメージを導入する試みであったとは言える。
総じて、1990年代後半のキティの躍進は、国内でのファン年齢層の拡張プロジェクト、(それが女性に向けたものであれ、男性に向けたものであれ)男性イメージの操作によるファン領域の拡張、あるいは変革プロジェクトと並行している。
サンリオの世界から世界のサンリオへ、あるいは、「かわいい」からkawaiiへ
こうしたファン層の拡張をともなったキティの躍進は、2000年代には、海外へとひろがっていく[15]。ただしサンリオは、1960年末にアメリカのホールマーク社のアイディアを借りてグリーティングカード事業に乗り出したこともあり、すでに1976年にはアメリカに、1978年には香港にショップをかまえて、海外での拠点を築いていた[16]。
1980年代には苦労しながら販路を開いていき[17]、『いちご新聞』でもたびたび海外の状況をリポートしている[18]。1983年には、キティが「ユニセフの子供大使」に任命されたことを受けて辻(いちごの王さま)は、『いちご新聞』200号に向けて、「世界」でのキティの活躍に期待をよせている。
いままでいろんなキャラクターをみなさんに紹介してきたいちご新聞の200号記念。そしてそのなかでも一番おねえさんで、チャーミングなキティちゃんが、日本だけでなく世界中のお友だちのために大かつやくする1984年・・・・・・。
『いちご新聞』1983年12月5日 p.2
辻の期待に沿うかたちで1984年の紙上では、「幸せはこぶ白い子ネコは今や世界中のアイドル」[19]、「この10年の間に、キティちゃんは日本だけでなく、世界のキティちゃんになりました」[20]とアピールが続く。
たほうで1991年には、商品企画制作課の崎山裕子が、「私たちが培ってきた日本の『かわいい』を、世界の共通項にしていきたい。考えれば考えるほど、夢がどんどん広がっていくんです」[21]と意気ごむ。その後、サンリオがその「夢」へとつき進むなかで、「かわいい」とキティが分かちがたく結託していく。
1998年に、「HELLO KITTY イン New York」[22]にくわえ、日本の「芸能界」とのコラボ、「大人」化路線にならうかたちで、「ANN&SHIRLEYがSanrioにやってきたー!!! オトナのCUTE♡っていいよネ」[23]が特集される。その後、2003年の「ヒルトン姉妹 パリス&ニッキー キティ&シナモンとニッコリ❤︎❤︎」[24]の記事あたりから、状況が変わる。
2004年、アメリカの歌手Lisaが、自身のCDでキティを使ったということで登場し、「キティをよく知ってる同世代の女性はもちろん、キティをあまり知らない男性もカワイイねって、評判は上々よ♪」[25]と紹介し、Art of Hello Kittyの展覧会は「世界中で愛されているハローキティがアートになりました」[26]と広告する。
同じく2004年には、「キャラクター大賞」V7にそえて、海外での「Kitty=Cool」の図式が引かれる。
キティ人気、海外でも大ブレイク!海外の過熱ぶりを、一挙まとめてダイジェストで振り返っちゃうぞ♪
Scoop File 1 Kitty=Cool(かっこいい)
先月号でもご紹介❤︎のLisa Loebをはじめ、キャメロンディアスやマライヤキャリー、ヒルトン姉妹etc.名立たる海外のセレブリティーが、Kitty=Coolとキティ大スキっぷりをアピール!
『いちご新聞』2004年9月号 p.28
たほうで「海外セレブが、キティに夢中!」[27]の状況をふまえ、辻(いちごの王さま)はメッセージ欄で、キティ=かわいい=kawaiiの図式を打ちだす。
このようにキティちゃんが欧米で人気を得るにしたがって、”キティちゃん=かわいい”ということから、「カワイイ」という言葉がアメリカでも使われるようになり、最近の流行語になっています。意味としては、日本語の意味”可愛らしい=CUTE”にとどまらず、感激して相手をほめる時に「Kawaii」って言うのだそうです。キティちゃんは言葉にも影響を与えているのですね。
「いちごの王さまからのメッセージ」『いちご新聞』2004年11月号 p.2
さらにキティは、cool=かわいい=kawaiiを束ねるかたちで、「世界のポップカルチャー」のトップにまで上りつめる。
キティ=日本のポップカルチャー
“かわいい”のTopアイコン‼︎
かわいいキャラとしてはもちろん、Coolの代名詞、“Kawaii”という日本語を世界中に広めたポップカルチャーとしても、今や世界中から注目を浴びているキティ❤︎ 昨年夏からスタートした、デビュー30周年記念イベント「KITTY EX.」でも、カルチャーとしてのキティにリスペクトしてくれた、様々なジャンルのアーティストがコラボ作品を発表してくれたのは、みんなも知るところ。そんな我らがキティが、今、N.Y.で開催されている日本のサブカルチャーアート展「リトルボーイ」展でもBigに紹介されているのだ!
そのキュレーターは、なんとあの六本木ヒルズのキャラや、ルイ・ヴィトンのマルチカラーシリーズを生んだ現代アーティストの村上隆氏! “おたく”“かわいい”“ゆるい”という言葉に象徴される日本のポップカルチャーの中でも、特に主流を占める“かわいい”カルチャーの代表としてキティが選出されたのだ☆ ――(略)――
ハローキティは、日本のポップカルチャー、いや世界のポップカルチャーに君臨していると言えるでしょう!!
『いちご新聞』2005年5月10日号 p.3
こうして2000年代前半に「かわいい」は、サンリオの世界を表現するのみならず、世界のサンリオを表明するキーワードへと発展する。その軸はやはり、「かわいいキティ」であった。重要なことは、この「世界」化は実質上、1990年後半から進められた国内のファンの「セレブ」化と一体となったアダルト化の拡大版であったということだ[28]。
2004年11月1日、ハローキティは30回目のお誕生日を迎えることができました。これまで多くの方々に可愛がられてきたキティ。今も世界中のお子さまからご年配の方まで広く愛されるキャラクターへと成長し続けています。
『いちご新聞』2004年12月5日号 p.10
すでに見たようにサンリオは、1980年代には「世界のキティ」をアピールしていた。つまり、当時すでに「世界中のお子さま」に愛されていたと、いわば自認している。しかし逆から言えば、「お子さま」に、でしかなかった。したがって、この2004年時点でのプレゼンテイションのアクセントは実質上、「ご年配の方まで」に、ある。
キティは「セレブ」から愛されることで、おとなに愛されていることになり[29]、「ポップカルチャー」となり、「アート」によって彩られる。2000年代前半の「世界」化は、たんなる空間的な、量的な拡張ではない。商品であるキティが、まさにセレブレイトされ、「カルチャーとしてのキティ」の地位を築くにいたる、質的な昇進の過程であった。
そうして出世を果たした2000年代のキティは、「田中康夫長野県知事」[30]、「皇太子殿下」[31]とコンタクトし、あるいは「乳がん」キャンペーンに参加する[32]。そうした仕事は、1983-84年に務めた「ユニセフの子供大使」と比べれば、直接にこどものため、というわけではない。つまり公共的な仕事にもまた、アダルト化は反映していく。
「かわいい」の名詞化と主題化
こうして「かわいいキティ」の公共性は、政治的なレヴェルに達する。以降2010年代にまたぐかたちで、キティと「かわいい」、あるいはkawaiiとの結びつきは、ゆらぐことなく続いていく[33]。その過程で「かわいい」は、サンリオそれ自体の代名詞となるが、そのさいのポイントは、「かわいい」が、文字どおり名詞になることだ。
「楽しい」に「可愛い」をプラスしてみました。 (ディースリーパブリッシャー社 プレーステーション SIMPLE 1500シリーズ ハローキティの広告)
『いちご新聞』2001年10月号 p.18
サンリオShopで”かわいい.com”はじめよう!! 「ワク2したり、キュンとしたり、かわいいキモチを大切に❤︎」 そんな想いから生まれた”かわいいCommunication”略して”かわいい.com”❤︎
『いちご新聞』2004年11月11日号 pp.10-11
『いちご新聞』紙上での「かわいい」は、1980年代においては、先に見たように、その発音に即してさまざまなかたちで表記されたが、一貫してあるものを修飾していた。それに比して、先の「「可愛い」をプラス」、「かわいい.com」、「かわいいキモチ」では、そうとはかぎらない。
たとえば、先の「可愛い」は、それ自体を個別に見れば形容詞でありながら、文中のほかのことばとの関係においては、名詞であるかのようにはたらく。島田泰子は、こうしたことばの使いかたを、「ある種の引用」[34]であるとみなしつつ「終止形準体法」と名づけ、その「表現性」[35]をさぐっている。
島田によれば終止形準体法とは、「特に広告表現を中心とした特殊な位相において近年目立つ、ある類型的な表現様式」であり、「形容詞や動詞、助動詞など活用語の終止形(と見られる語形)が、文中において体言に準ずる扱いを受け、格助詞ヲ・ガ・ニなどを伴って、述語に対する格成分として用いられたもの」である[36]。
終止形準体法によって引用されることば(ここでは、まさに引用符が付された「可愛い」)は、「発話されるセリフの再現」であり、「個々の発話行為が持つ個別性、つまり個々の発話主体やその背景・文脈などへの尊重」[37]を内包する[38]。この点は、すでに見た、「かわいい」ということばの流行にともなう表記のパロール化の特性に通ずる[39]。
「かわいい」の表記が、パロール化にさいして具体的な発話をかたどろうとしたのは、「かわいい」の具体的な発音の感じこそが「かわいい」という感じをつくるからであった。終止形準体法の「かわいい」もまた、たとえばサ語尾の名詞である「かわいさ」と比べて[40]、「かわいい」という感じをより生き生きと伝えるからこそ用いられると言える。
「かわいい.com」=「かわいいCommunication」は、広告効果を想定したうえでつくられた固有名詞である。ここでは「かわいい」が「Communication」を修飾しているとも言えるが、その内実は、「かわいい」という価値、ことばを軸にしたコミュニケイションであり、「かわいい」は、いわば省略表現であるとも言えるであろう[41]。
終止形準体法の「可愛い」、固有名「かわいい.com」、いずれにおいても、「かわいい」はそのことばのかたちのまま、名詞化されている。名詞化は、1980年代以降に出てきた「かわいい」論で散見される(すでに見た「かわいいカルチャー」が、その一例である)が、『いちご新聞』上での使用は、ゼロ年代のkawaiiの出現に触発されている。
こうした名詞化は、すでに見たとおり、引用とも省略とも言い表すことができるが、いずれにせよ大事なことは、名詞化を通して「かわいい」が主題化されるということだ[42]。まさに「サンリオ展」のタイトルやキャッチフレイズ(「“かわいい”のはじまり」、「永遠の「カワイイ」はここからはじまった」)でも、名詞化が踏襲されている。
主題化という点では、「かわいいキモチ」もまた一役を担う。「かわいいキモチ」において「かわいい」は、名詞化しているわけではなく形容詞である。ただし意味論上、単純に「キモチ」を修飾しているとは言いがたい。とはいえ、「かわいいキモチ」は誤用というわけではなく、「かわいい」と感じるキモチであるととらえることができる。
その根拠は統語論上、「かわいい」が、たとえば「かなしい」と同様に、ものの「属性」だけではなく、「感情・感覚」をも表すことができることにある[43]。たんにあるものがかわいいと記述するだけではなく、「かわいい」というキモチそれ自体を焦点化することによって、主題化が促進される。
「かわいい」という理念
『いちご新聞』では、ときに名詞化をともなうこうした主題化の傾向にひき続くかのように、ゼロ年代後半から、「かわいい」をはっきりと一つの自律的な価値ととらえたうえで、それを推奨する記事、あるいはその内実を論じる記事が、現れる。
かわいく生きようっ❤︎
毎日を“かわいく生きる❤︎”きれいにメイクしたり、可愛いくオシャレするのももちろん楽しいけど、もっと心の奥から、明るく楽しく、かわいく生きよう❤︎
2008年5月10日号 p.11
ここでは副詞の「かわいく」が使われているが、いわば「かわいい」という価値に則した生きかたを、「チャーミング」、「かわいい話し方」、「明るい笑顔」、「可愛いしぐさ」、「素直」、「カワイイ心」、「思いやり」、「kawaii!」、さらに「“かわいくない”ことを考えると“かわいい”が見えてくる」というポイントから、諭している[44]。
2008年の、葉祥明(1946-)による「幸せになるための心のハーブ」[45]では、「かわいい」という詩が綴られ、そこにエッセイが付される。そこで葉は、「かわいい」という価値を生のエレメントであると位置づけつつ、やはり、かわいくあれと謳う。
かわいい
かわいいって
純粋で、ひたむきで
初々しいってこと
だから人は
かわいいものを求め
自分自身も
いつまでも
かわいくありたいと
願うんだね「かわいい」という言葉が、女性は大好きです。多くの人が、日常生活の様々な場面で思わず「かわいい〜!」と叫んでしまいますよね。
「かわいい」は、心地よい!素敵!大好き!欲しい!という気持ちの表れ。
――(中略)――
どうぞ沢山かわいい物を見て、集めて、身の回りをかわいい物でいっぱいにしてください! キティちゃんのグッズをみんなが好むのは、見ると微笑みが浮かび、幸せになるからです。
だけど、「かわいさ」の原点はあなたです。あなた自身がかわいくあるのが、一番!
「かわいい」は、「愛」や「いのち」と同じ意味だと私は信じています。あなたはどうですか?
葉祥明「幸せになるための心のハーブ」Vol.15
『いちご新聞』2008年8月10日号 p.29
2009年の500号記念号には、「読者のみんなが誰からも愛される可愛い人であってほしいと願っています」[46]との辻のことばに、「いちご新聞をひと言で言うと?」「「かわいい❤︎」イメージが、断トツ1位!」のアンケート結果[47]、「かわいい❤︎」の原点へ。」[48](Girlish Culture 大人の女性に贈る展示会 ハローキティ展)というコピーが掲載。
こうして、ひとたび「世界」で公認された「かわいい」というサンリオに対する評価は、サンリオ自身によって強固に内面化されていく。2010年の創刊35周年に辻は、「本当に伝えたいこと」は35年前から変わっておらず、「キティちゃんが世界中の人々に向けて送っているメッセージ」三つがそれだとし、一つ目に「可愛い」を挙げている[49]。
1つめは『可愛い』ということです。キティちゃんのように優しい心でみんなに暖かい思いやりを持って接すると、まわりの人たちに愛されることをキティちゃんという存在が教えてくれています。可愛いというのは、容姿や格好だけではなく、態度や言葉使いを含めたすべてが可愛いということなのです。
『いちご新聞』2010年3月10日号(創刊35周年記念号) p.2
しかし、まさに「35年前」の、創刊に先立つPR号で辻が創刊の理念を語るが、「かわいい」は出てこない[50]。あえてPR号と35年周年記念号において共通して主張されていることばをとり出すならば、それは、「思いやり」、「やさしい」、「平和」である[51]。
王様からのメッセージ
みんながしあわせな世界
そんな世界をつくりたい・・・
それは、わたしたちだけでしかつくれない世界なのかも知れません。自分のことばかり考えている人の多いおとなの世界ではなくて、もっともっと思いやりがあって、心のやさしい人たちばかりの楽しい私たちの世界をつくっていかなければ・・・
いちご新聞は、そんな平和で、幸福な世界をつくっていきたいと願って発刊されるのです。
『いちご新聞』0号(PR版)1975年3月
(2016年7月10日号 p.3での引用にもとづく)
たほうで1984年に、辻はメッセージで「かわいい」を、主題化するとまではいかなくともフィーチュアする。この時期には、すでに見たとおり、国内で「かわいい」ということばの流行がきわまる。このあと辻が「かわいい」を使い続けるわけではないことに鑑みても、1984年の辻の語彙もまた、流行の影響を受けた結果であると言える。
いちごの王さまからのメッセージ
みんなからすかれる人になろう
――(中略)――
女の子が人からすかれるには、一つには“かわいいね”といわれるようになること、2つめは“気がきくね”といわれるようになること。3つめは“あかるいね”、“親切だね”といわれるようになることなんです。
『いちご新聞』1984年4月5日号 p.2
2010年10月には、東京都江東区のヴィーナスポートにHello Kitty’s Kawaii Paradiseがオープン。「当施設のコンセプトは、“Kawaii が体験できるエンターテイメント”。「Hello Kitty」のコンセプトである“かわいい”をテーマにした…」[52]と、「かわいい」一辺倒。2011年には、またもや葉祥明が「可愛い」のお題をかかげる[53]。
つづいて2013年、2015年、2016年の「メッセージ」でも、辻は「かわいい」「なかよく」「助け合い」の三つをリピートしていく[54]。ただし、2016年12月10日号で「キティちゃんは友情のシンボル」であることを確認して以降2022年にいたるまで、今度はキティ=「友情」、「友(だち)」、「仲良く」一辺倒で、「かわいい」を用いなくなる[55]。
結果上、辻が「かわいい」をとり立てた時期は、本論01で論じた「かわいい」論の二つのピークと重なっている。つまり、変わらぬ理念を謳い続けていたかに見える辻のメッセージもまた、「かわいい」ということば自体の権勢と連動していたと言える[56]。
にもかかわらず『いちご新聞』35周年を機に、1980年代にとどまらず、創刊時の1975年、さらには創業時の1960年代へと遡行して、サンリオがことの始めから「かわいい」を根本理念にすえていたという歴史が語られる[57]。こうして、「サンリオ展」で展開される「“かわいい”のはじまり」神話の基盤が固められていったと言える。
「かわいい」のユニヴァーサリズム
「かわいい」が日本を満たし、「世界」に響くようになっていくにつれ、そうした環境をサンリオはフィードバックし、はじめから「かわいい」至上主義であったかのように自身の歴史を再構築していく。同時に、「かわいい」至上主義を採った理由をも構築していく。それは、「かわいい」のユニヴァーサリズムとでも言うものだ。いま一度引こう。
利益よりも、カワイイにこだわったのには理由があります。「センスが良い」「かっこいい」と思う判断基準には文化の違いや個人差がありますが、子犬や子供を見て「カワイイ」と思う感性は国境を越えて共通だからです。誰もの気持ちをやさしくするもの。そういうデザインを提供したいとサンリオは考えていたので「カワイイ」にこだわりました。
「サンリオ展 ニッポンのカワイイ文化60年史」キャプション
東京シティビュー 2021年9月17日から2022年1月10日まで
たしかに、1960年代の「いちご」シリーズにかんしては、創業者の辻が「かわいい、と思ったものは、やはり少女たちにもかわいいデザインだった」[58]というかたちで成功した、と上前は記している。ところが、その後は同じ柳の下とはいかなかったという流れが、むしろ逆説的に、サンリオのサクセス・ストーリーをなしている。
イチゴのキャラクターで成功したのに気をよくした辻は、こんどはサクランボをキャラクター化しようと考えた。二つ実が並んでくっついた愛らしいサクランボをハート形にデザインして、これも必ず当たる、と自信満々だった。しかし女の子たちはサクランボにはまるで見向きもしなかった。
――(略)――
その後彼は新しいキャラクターを売り出すにあたって、必ずそれをつけた商品を一定期間実験店(直営店である全国十八か所のギフトゲートがそれにあたる)に置いてみて、消費者の反応を見る方針をとることにしている。
上前淳一郎『サンリオの奇跡――夢を追う男たち』角川書店 1982年(原版 PHP研究所1979年) p.41
こうして、「おれがかわいいと思ったものは、当然ほかの人間もかわいいと思うはずだ。だからかわいいものは売れる」という「辻流の勘」は、すでに1960年代のうちにいくらかの「失敗」を経て挫折していた。1990年にサンリオから出版された、西沢正史『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』もまた、そう報告している[59]。
1969年に辻は、アメリカのホールマーク社を訪れ、同社が量産化の前に少量のサンプルでリサーチをしていることから、「キャラクターのようなクリエイティヴな事業には、データをベースにした近代的経営が、何よりも大切なことを思い知らされた」[60]。つまりサンリオが、「利益よりも、カワイイにこだわった」というわけではない。
1970年代に入っても、辻の勘ははずれた。サンリオのオリジナルデザインの躍進への第一歩である、社内デザイナー鈴木ひろ子(ロコ・まえだ)の「“Love is”シリーズ」に対して見誤ったことを、辻は自ら告白している。
「正直にいいますが、こんなものは駄目だ、とぼくは社内でいっていたんです。ぜんぜん売れるとは思わなかった。しかし、並べてみたら売れたんです。これが」
上前淳一郎『サンリオの奇跡――夢を追う男たち』角川書店 1982年(原版 PHP研究所1979年) p.109
「辻はこの時、自分と若い女の子たちの感性に相当なズレがあることを初めて思い知らされた」[61]。さらには、ユニヴァーサリズムのシンボルであるキティの発案にさいしてまたもや、「ズレ」が露呈してしまう。キティのオリジナルデザイナーの楠(清水)侑子のエピソードはつぎのとおりである。
さっそく、画用紙に正面向きと横向きの白いネコを描いてみた。書き上げて上司のところに持っていくと「どちらでもいいじゃないか」といわれた。ほとんど注目されなかったということだろう。――(略)――
くる日もくる日もネコばかり描き、やがて、大きな顔に小さな目と鼻、頭に真っ赤なリボンをつけた二等身のキャラクターを完成させた。これも、辻の目には止まらなかった。
西沢正史『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』サンリオ 1990年 pp.51-52
ここで言う上司がだれかは明らかではない。が、当時の常務であった友近忠至は、若いスタッフから、友近が「いいというのと逆のほう」が売れるとからかわれたと言う[62]。「ズレ」は、「昭和一ケタのセンスはもう古い」という世代間ギャップでもあった。キティに対するそんな「メガネ違い」をも、辻は素直に認めている。
「ぼくらはコロちゃんのほうがかわいいと思ったのに、結果は逆でした。いくらわかったようなつもりでも、純粋な子供の感受性にはかなわない、ということですね。キティはぼくらがプロモートしたのではなく、子供たちが受け入れてしまったのです」
上前淳一郎『サンリオの奇跡――夢を追う男たち』角川書店 1982年(原版 PHP研究所1979年) p.124
こうしたキティ創案の経緯は、『いちご新聞』でも報告されている。にもかかわらずサンリオ展は、そこで見いだされた「感性」のズレというポイントは捨象し、「かわいい」のユニヴァーサリズムを謳う。たんに辻を含む「昭和一ケタ」だけが例外的にズレていたのであって、「かわいい」はおおむね万人に共通だ、と言いたいのだろうか。
しかしたとえば、楠作の別のキャラクター「チャーマー」はさっぱり売れていなかった。つまり、楠の感性に普遍性があるというわけでもない。またサンリオは、海外での販路を切り開いていく1980年代に先立つ70年代には、赤字続きの挫折を経験している[63]。それはつぎのとおり、まさに「かわいい」のズレの経験であった。
当時(*)、辻は「かわいいものには国の垣根がないと思っていたが甘かった。アメリカで商売するには、アメリカ人の生活習慣にマッチしたものを作ろう」とニューキャラクターに挑戦している。
*(春木注)1979年のことである。
西沢正史『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』サンリオ 1990年 p.170
「かわいい」が万人に共通ではない、と言うための反例さがしをしているわけではない。ただ、サンリオの奮闘の歴史が示すのは、むしろ「かわいい」という感性はたえずズレを孕んできた、ということではないのか。それでも大仰なユニヴァーサリズムを唱えたくなる一因は、キティの「世界」化にともなう「かわいい」の世界化にあるであろう。
しかしそもそも、キティが世界で人気を博すことは、「かわいい」が世界で共有されることを意味するのか。
キャラクターものは、すごく好きでしたね。たぶんキティちゃんとかって、日本ではファンシーな、純粋に可愛いものだった。でも、海外に出したときには、キッチュでちょっと気色悪いものに変わってしまう。
カオルコ「かわいいだけじゃちょっとつまらない」(女のコトバ最前線)『広告批評』199号 マドラ出版 1996年 p.40
2000年ごろのアメリカでのブームはセレブの「内輪受け」に端を発しており、さらには「カワイイものは、ちょっと世の中からずれている」という点で、「既成の体制に反抗する者たちのシンボル」でもありえる[64]。1990年代の(日本人以外の)アジア人はキティに「日本らしさ」[65]をもとめており、たほうで、そもそもキティは「西洋風」[66]でもある。
キティが「世界」で愛好されたとしても、日本と日本以外で、あるいは、日本以外と言っても、国や文化圏ごとで、キティを同じしかたで「かわいい」と感じているとはかぎらない。たしかに、キティの代名詞である「kawaii」ということばは流通している。またそうでなくとも、アメリカ人もなべてキティを「かわいい」と見ているのかもしれない[67]。
しかしそれは、「かわいい」という感性が流通することと同義ではない。kawaiiが、2000年代後半以降の辻、あるいは『いちご新聞』が主張するとおりの、生きかたをともなう「かわいい」と内実を同じくするとは、容易には言えない。kawaiiに則して生きることが、たとえば「優しい心でみんなに暖かい思いやり」を持つことになるだろうか。
「かわいい」を「いくらわかったようなつもりでも、純粋な子供の感受性にはかなわない」と、1970年代のキティのヒットにさしいて辻は言う。辻にとって、真正の「かわいい」ははじめから、「純粋な子供の感受性」に託されている。しかしそれは、当時の主要な消費者が「子供」であったから、にすぎない。
キティがかわいいことは、売れたことによって示される。が、いつしか、キティはかわいいから売れたということになる。こうした結果と原因のすりかえ構造を、サンリオ展が謳う「かわいい」のユニヴァーサリズムもまた、備えている。その内実は、キティを筆頭とするキャラクターが、一定の国や文化圏で売れたということにすぎない。
ただその過程で、ある時期から「かわいい」、あるいはkawaiiという売り文句(と買い文句)が、サンリオ製品に記号のように貼りついた。その結果、サンリオが受けいれられることは、「かわいい」が受けいれられることと同一視される。このとき、「かわいい」ということばの側では、二つの動きが起こっている。
一つは、「かわいい」の外延の一部にすぎなかったサンリオの一定の製品やコンテンツが、外延全体のなかで優勢になっていく。もう一つは、サンリオのコンテンツを含め一定の文化コンテンツを表す「かわいい」の記号風の用法、あるいは内包が優勢になっていく。
こうした二つの動きがきわまる場面では、「かわいい」と言えばサンリオ、といういわば提喩が成立しうる。「サンリオ展 ニッポンのカワイイ文化60年史」は、まさに一つの提喩表現を通して、「かわいい」をジャックする。ただ、そもそもその提喩がどのようにして成り立つのかをこそ、展覧会は提示すべきであったであろう。
あらためて、「かわいい」の歴史へ
こうして見てくるとサンリオは、1960年の創業以来「かわいい」を至上の価値としてきた、というわけではないことがわかる。すくなくとも『いちご新聞』が創刊された1975年の時点では、ほかの多くの価値が並列されているが、時代を下るにつれ、「かわいい」が前面化してくる。この前面化には、二つの契機、段階があった。
一つは、1980年ごろの「かわいい」ということばの流行である。『いちご新聞』紙上では、「メルヘン」と、それと親和する「センチメンタル」、「ロマンティック」、「美しい」などのことばが、「文学」コンテンツとともに後退した結果、「かわいい」が前面化する。
二つ目は、90年ハローキティを筆頭とするサンリオキャラクターの「世界」化である。この過程で、キャラクターの流通とともに「かわいいkawaii」ということばが流通したことで、サンリオ自身が「かわいい」を、自己の本質をなす価値観であると位置づけつつ、いっそう強固に内面化していく。
そのうえで2021年から始まった「サンリオ展」では、あたかも容易に、サンリオ=かわいいという図式が据えられる。そうすることで、1970年代以前のサンリオが備えていた、「かわいい」に並ぶいくつかの価値は、なかば抹消されてしまう。それは、なんでも「かわいい」と言う1980年以降の状況をそれ以前へと投影する操作でもあるだろう。
こうした問題は、「「かわいい」の歴史と理論01」に述べた「かわいい」の歴史の不在と一体である。本論02、03を「かわいい」論の一つのケイス・スタディだととらえれば、1980年前後の「なんでもかわいい」の状況以前を系譜学的に遡行することで、「かわいい」の包括性と汎用性を解体することが、「かわいい」論の一つの方法であることがわかる。
サンリオ展が「かわいい」に執着したのは、現状で「かわいい」がある広告効果を保証するからだとすれば、そうなるにいたった経緯をもまた、歴史にてらして問うべきであろう。サンリオ展を離れて、あらためて「かわいい」ということばの使用の歴史を精査していこう。
(04へ続く)
春木有亮(美学者)
[1] 1986年に『いちご新聞』紙上で、年一回の投票制ランキング「サンリオキャラクター大賞」が始まる。ハローキティは、1994年までは6-9位のあいだをうろついて居たが、95-96年に4位、97年に2位、98年以降2010年まで1位となる。
また、2010年の記事「サンリオ50年History」では、1997年を「キティブーム到来」とし、「「キティラー」という言葉が誕生したほど大人気!!」(2010年7月10日号 p.5)とふりかえっている。
また、キティ市場の通時的な動向にかんしては、ケン・ベルソン、ブライアン・ブレムナー(酒井泰介訳)『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』(東洋経済新報社 2004年(原書2003年))p.87-162にくわしい。
[2] 「ちょぴりオ・ト・ナ感覚 おしゃれなあなたにおくります。」(K&T JR TOKYOの広告『いちご新聞』1989年3月号 p.23)のように、個々の読者にいわゆる背のびをうながす動きは1980年代からあるが、『いちご新聞』紙上で、ファン層の拡張を意図してアダルト向けのプロモートが表面化するのは、90年代後半以降である。
ただし、こうしたことは、あくまで広告上のイメージ操作の問題である。実質上の経営においては、サンリオは、すでに1970年代には、「子供向けだけでは会社の成長に限界がある」と見こして、「「ハイ・ターゲット」戦略」と称し、「大人だが気持ちは若い人々」に向けた製品を開発していた(ベルソン、ブレムナー『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』2004(原書2003) pp.107-108)。
また、1980年代には、購買「年令層が広がらない」状況にさいして、「中高生やOL、ヤングママ向けのものを手を換え品を換えて出して」いる(「株主を裏切った“高成長企業”サンリオの凋落」『実業界』1985年11月1日号 実業界 p.39)。
[3] メッセージの主は、以下のとおりである。吉村由美(1975-) 島崎和歌子(1973-) 穴井夕子(1974-) 中山エミリ(1978-)(「芸能界からLOVEコール♡ やっぱり、DAISUKI♡ キティちゃん♡」『いちご新聞』1997年10月5号 pp.4-5)、大貫亜美(1973-)、つんく(1968-)、山口リエ(1977-)、笹峰愛(1978-)、山田まりあ(1980-)(「芸能界からLOVEコール♡ PART2」『いちご新聞』1997年11月5号 pp.4-5)、藤原紀香(1971-) 須藤温子(1983-)(「HAPPY BIRTHDAY DEAR HELLO KITTY たくさんの人から愛され続けて、今年、24周年をむかえるキティ‼︎ 芸能界からも”ハッピーバースデー!”のコールが届いていまーす!!」『いちご新聞』1998年10月5日号 pp.4-5)、 深田恭子(1982-) 矢田亜紀子(1978-)(「HAPPY BIRTHDAY DEAR HELLO KITTY 先月号にひき続き、今月も芸能界から”Happy Birthday”コールが♡ ハートフル♡メッセージに、キティも大喜びよ!!」『いちご新聞』1998年11月5日号 pp.4-5)
[4] 『いちご新聞』1998年2月5日号 pp.24-25。また、Photo By HiromixのVivitix ポスター 「オシャレなポストカード」(1998年3月5日号pp.24-25)、vivitixの、いわゆる手ブラ写真広告(1999年1月5日号 p.26) などもある。また、2010年の記事「サンリオ50年History」では、1996年を「ハイターゲット向け店舗「Vivitix」1号店が渋谷にオープン オトナかわいいポスターも話題に!」(2010年7月10日号 p.5)とふりかえっている。
[5] 『いちご新聞』2006年4月10日号 pp.4-5
[6] 「PATTY & JIMMY カムバーック NEWS!!!」『いちご新聞』1998年1月5日号 pp.4-5、「キキララ キラキラHistory ’70s大人気デザインが、復活! テーマは、レトロ&キュート❤︎」『いちご新聞』2003年4月号 pp.4-7
[7] 水野真紀(1970-)「26th 2000.11.1 HAPPY BIRTHDAY DEAR❤︎KITTY」(『いちご新聞』2000年12月10日号 p.3)、千秋(1971-)「千秋さんにドキ2インタビュー」(2002年1月10日号 pp.4-5)
[8] 「菊池桃子(1968-)さんのおべんとうBOOKでお弁当Lifeはじめよ〜❤︎」『いちご新聞』2002年5月10日号 pp.6
[9] かわいいけど、本物‼︎
永井 秀子 様 (東京都葛飾区)
もうそろそろ、キャラものは卒業かな・・・と思っていた矢先にこのシリーズを知ってしまいました(笑)。
相馬 由美子 様 (静岡県沼津市)
いちご新聞をもう10数年、欠かさないのですが、昨年お化粧品の広告を見たときは1ページだけ大人の世界が迷い込んだようで驚きました。
(forty winks Hello Kitty Natural Fruit Extractの広告)『いちご新聞』2004年12月10日号 p.14
[10] 島村麻里『ファンシーの研究 「かわいい」がヒト、モノ、カネを支配する』ネスコ 1991年 p.61
[11] 「Vivitix News」『いちご新聞』1998年12月5日号 p.35
[12] 『いちご新聞』1999年11月5日号 p.19
[13] その後、男性を意識した展開は、たびたびおこなわれる。
キティ×Men’sブランド 最強スタイル!
今年のFashionはMen’sキティを無くして語れず‼︎ いかにキティをかっこよく着るかが、カギに☆ Men’sブランド×キティの最強コラボが、続々リリースよ!
『いちご新聞』2008年1月10日 p.7
こうした展開は、あくまで男性イメージのアピールである。実質上の男性向け商品という意味では、たとえば1970年代に「男子高校生に筆記具などを発売」(上前「サンリオの奇跡――初めて出た衝撃の全内幕」『週刊現代』1978年6月8日号 p.52)している。
[14] ダニエルが帰ってきたー‼︎(『いちご新聞』1999年3月10日号 p.3)
[15] キティの「海外雄飛」のあらましは、ベルソン、ブレムナー『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』(2004(原書2003))pp.123-162を参照。
[16] ベルソンは、「一九七〇年代にロングアイランドで育った私は、妹が新しいおもちゃにハマっているのに気づいた。ハローキティである」(『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』2004(原書2003))と、報告している。
[17] 「海外への進出」に向けての1974年からのサンリオの奮闘は、西沢正史『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』pp.167-176にくわしい。
[18] 『いちご新聞』1981年11月1日号の記事「とびだせ キティ キティ、ツインスター、マイメロディはもう日本だけのものではない。」(pp.4-5)は、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、フィリピン、ベネズエラの状況を報告している。1981年12月1日号では、辻が、「いまではね、友情のシンボル“ハローキティ”っていえば、アメリカでは一番の人気者なんです。」と宣伝しつつ、「ここではキティがイチバン人気‼️」という見出しで、サンフランシスコの小売店ギフトゲートのリポートする(p.24)。
1985年9月5日号は、「アメリカ特集」の記事を組み、「サンリオアメリカ情報や、アメリカの生活習慣など、ビッグな情報おとどけシマ〜ス。もち、キティちゃんのカツヤクも取材しちゃったョ!」(p.3)と、サリナス、ユニオン スクエア、イーストリッジのギフトゲート(p.4)、アメリカ支社であるサンリオ・インク(p.5)をリポートする。
1988年7月5日号では、「アメリカナイズ」(pp.3-9)というタイトルで、「アメリカのどのサンリオのお店へ行っても、やっぱりキティちゃんは大人気!」(p.5)と、サンリオインク、ギフトゲートのリポートしつつ、アメリカのサンリオグッズのプレゼントコーナーを展開。1989年10月5日号も、「日本で売ってな〜い、マスコットつきえんぴつと、かわい〜いステッカーをセットでプレゼントよ!」(p.37)とアメリカのグッズを提供している。
[19] 『いちご新聞』1984年9月5日号 p.4
[20] 『いちご新聞』1984年10月5日号(200号特別記念号) p.2
[21] 島村麻里『ファンシーの研究 「かわいい」がヒト、モノ、カネを支配する』ネスコ 1991年 p.69
[22] 『いちご新聞』1998年2月5日号 p.36
[23] 『いちご新聞』1998年4月号 pp.4-5
[24] 『いちご新聞』2003年2月号 p.6
[25] CD「Hello Lisa」にキティを登場させた時のみんなの反応は?? 「キティをよく知ってる同世代の女性はもちろん、キティをあまり知らない男性もカワイイねって、評判は上々よ♪」(p.5)
Hello Lisa Hello Kitty Happy Newspaper『いちご新聞』2004年8月号 pp.4-5
[26] 『いちご新聞』2004年8月10日号 p.26
[27] 『いちご新聞』2004年10月10日号 pp.4-5
[28] ベルソンとブレムナーも、日本とアメリカの「ブーム」に類比を見いだしている。
日本でのキティ・ブーム再燃のきっかけと同じように、アメリカでもキティが人気が改めて盛り返したのは、郷愁に駆られたスーパーモデルや歌手たちのおかげだった。
ケン・ベルソン、ブライアン・ブレムナー(酒井泰介訳)『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』東洋経済新報社 2004年(原書2003年))p.149
[29] 島村は、おそらく1974年にパティー&ジミーのバインダーケースや筆箱を留学先のアメリカの高校に持っていったところ、「そんな子どもくさいものが日本の高校生には流行ってるのか」とバカにされた、と報告している(島村麻里『ファンシーの研究 「かわいい」がヒト、モノ、カネを支配する』ネスコ 1991年 p.12)。
[30] 田中康夫知事に招待状を手渡し★ もうすっかりおなじみ、キティに会えるスキー場”ヘブンスそのはら”!! 今回は、2004年シーズンのオープニングイベントに、田中康夫長野県知事をご招待!
『いちご新聞』2004年1月10日号 p.3
[31] 立体型キティ通園バスがある 南港さくら幼稚園の園児と一緒に♪ キティが、皇太子殿下をお出迎え❤️(ピンク)
『いちご新聞』2005年6月10日号 p.3
[32] キティと、乳がんの意識、高めよう❤︎
『いちご新聞』2007年12月10日号 p.28
[33] 2009年は、キティ35周年アニバーサリーイヤーです!
真っ赤なリボンに、黄色いお鼻・・・
“かわいい”のシンボルとして、世界中のみんなの憧れのハローキティは今年誕生35周年を迎えます。
『いちご新聞』2009年1月10日号 p.3
キャラクター大賞1位
永遠にキュート❤︎❤︎❤︎
ハローキティ
今年で生誕35周年を迎え、世界中でイベントや限定プレミアムグッズがいっぱい登場☆
友情のシンボルの”可愛いリボン”で、これからもお友だちの輪を広めていくよ!
『いちご新聞』2009年7月10日号 p.24
ブルーのオーバーホール姿に赤いリボンで1974年に誕生した“ハローキティ”☆ 今は世界のkawaiiを代表するサンリオの大人気キャラクターに♡
『いちご新聞』2015年4月10日号 p.8
[34] 島田泰子「広告表現等における〈終止形準体法〉について」『叙説』40号 奈良女子大学日本アジア言語文化学会 2013年 p.353(pp.355-340(逆順掲載))
[35] 島田「広告表現等における〈終止形準体法〉について」2013 p.355
[36] 島田「広告表現等における〈終止形準体法〉について」2013 pp.355-354(逆順掲載)
[37] 島田「広告表現等における〈終止形準体法〉について」2013 p.343
[38] 「引用的な形容詞の終止形による準体法において、引用されたコトバは」、「極めて主観的な(感嘆を含んだ)セリフである」ゆえに、「終助詞ヨや感嘆符」をともなうこともある(島田「広告表現等における〈終止形準体法〉について」2013 p.13)。総じて、終止形準体法がなすのは、「引用されるセリフにまつわる、発話主体の心情や感動(まさにそのセリフでしか表せない感嘆や感慨)を取り込んでの体言化である」(p.11)である。
[39] 逆から言えば、表記のパロール化は、引用のヴァリエイションだとう言うことができるであろう。
[40] 大島もまた、「実感としてのセリフ(の引用)である終止準体法の表現は、対象への評価・感嘆という極めて主観的な情意を含意しており、一方のサ語尾による体言化が、対象からやや客観的に抽出される属性を表すのとは、やはり確実に異なっている」(「広告表現等における〈終止形準体法〉について」p.10)と指摘する。
[41] まさに本論でも、「かわいい」を、「かわいい」ということば、という意味で使っている。ただし、「かわいいきもち」において、「かわいい」は「きもち」を形容しており、「かわいいCommunication」において「かわいい」は、Communicationを形容しているとみなすこともできる。
ここで「かわいい」が機能上名詞であり、同時に形容詞でもあることは、矛盾ではない。むしろ、かわいいと感じること自体がかわいい、かわいいということばを使うコミュニケイションそのものがかわいい、という再帰性が生じることこそが、「感じることば」である「かわいい」の特性であると言える(「「かっこいい」は、カックイイ ──「流行語の流行」と、感じることばの生成」(『北海道芸術論評』13号 北海道芸術学会 2021年 pp.3-98を参照)。
[42] 島田は、動詞の終止形準体法をも論究しており、「動詞の場合、準体的に用いられる終止形は、それぞれの語に定義づけられた動詞としての概念を表出し、個別的な具体例を超えたある種の普遍性を帯びる」と分析している(島田泰子「現代日本語における動詞の〈終止形準体法〉について」『二松学舎大学論集』56号 二松学舎大学文学部 2013年 pp.21-40)。つまり終止形準体法は、形容詞のばあいは個別性を、それに対して、動詞のばあいは普遍性を表現しがちだと整理する。
ただ、「「可愛い」をプラス」のばあいは、「可愛い」は、セリフを引用したかのようであるという点で個別性の表現でありながら同時に、意味論上、たとえば「可愛い」ということ、「可愛い」という価値、と言いかえられるという点で普遍性の表現でもある。島田が挙げている「カワイイは、つくれる」(2006年 花王社)のばあいも、同様である。これらにおいて「という」が省略されているとみなせば、本文で後述の「かわいいキモチ」とも通ずることになる。
終止準体法の動詞は直後に「トイウを介することが可能である 」(島田「現代日本語における動詞の〈終止形準体法〉について」2013 p.25)という島田の指摘を踏まえれば、終止準体法において、形容詞はむしろ動詞と同じヴェクトルの表現性を持つことになる。また形容詞と動詞の表現性を比較しつつ、久賀朝「広告における特異な引用表現についての一考察」(日本語学会2020年度春季大会 発表)が、島田の「終止形準体法」の概念自体を批判してもいる。
[43] 国立国語研究所(代表西尾寅弥)『形容詞の意味・用法の記述的研究』(国立国語研究所報告44 秀英出版 1972年)は、「かわいい」が、「属性」と「感情」をともに表すことができることを指摘、分析している(同書pp.35-36, pp.208-212)。また、そうした西尾らの研究ほかをふまえつつ、春木有亮「「かっこいい」は、カックイイ ──「流行語の流行」と、感じることばの生成」2021(とりわけpp.45-51)では、属性形容詞と感情・感覚形容詞という枠組みから、「かっこいい」を論じているので、参照いただきたい。
[44] 周りが明るくなるよね☆
〈チャーミング〉
いくつになっても“チャーミングな人”って言われたい!
〈かわいい話し方〉
声を1トーン上げてみたり相手の目を見て笑顔でお返事♪
みんなの心もはずんじゃう♪
〈明るい笑顔〉
やっぱり誰でも笑顔が一番かわいい❤︎
〈可愛いしぐさ〉
可愛いしぐさでみんながなごむ❤︎
素直に気持ちを伝えたり楽しい時にはしゃいだり♪
〈素直〉
感謝の気持ち☆
季節の変化に気づいたり、可愛いものを見て「かわいい!」って感じる心☆
〈カワイイ心〉プチハッピーを見つけて、どんなことでも楽しめちゃう♪
〈思いやり〉「大丈夫?」の一言や相手を思って送る日頃のメール❤︎
〈kawaii!〉
kawaii=キティ!
逆に、“かわいくない”ことを考えると“かわいい”が見えてくるかもね♪
自慢 勝手
*〈〉は、葉っぱ型の背景囲み
[45] 2007年6月10日号で連載開始。
[46] いちごの王さまからのメッセージ
――(略)――
いちご新聞は、この500号を節目にこれからもやさしい心とあたたかい思いやり、助け合いの気持ちを伝え続けていきます。そして、読者のみんなが誰からも愛される可愛い人であってほしいと願っています。
『いちご新聞』2009年9月10日号(500号記念号) p.2
[47] “いちご新聞をひと言で言うと?”
かわいい 34%
「かわいい❤︎」イメージが、断トツ1位! いち新お姉さんたちも、可愛いものでみんながハッピーな気分になってもらえて、嬉しいなあ(´∇`) 「世界一ラブリーな新聞♪」や「超可愛すぎて仕方なーーい‼︎」というコメントも。流行の言葉で例えるなら、「チープリ❤︎」っていうイメージのコも(笑)♪これからも、「かわいい」をギュッとつめた新聞作り、がんばるよう(^3^)
幸せ・癒し 22%
月1回の楽しみ 16%
夢のある宝物 12%その他 16%
『いちご新聞』2009年9月10日号 p.7
[48] 『いちご新聞』2009年9月10日号 p.13。また、同展の会期は、9月16日(水)〜9月23日(水・祝)(そごう神戸店 本館9階 催事場)、10月1日(木)〜10月12日(月・祝)(西武池袋本店 別館2階 西武ギャラリー)。
[49] 二つ目、三つ目のメッセージは、つぎのとおりである。
2つめは、キティちゃんの左目の赤いリボンに込められた『なかよく』のメッセージです。リボンは世界中の人を結ぶことができます。優しい心で相手の気持ちを考えることができれば、みんなが平和に楽しく暮らせます。小さな『なかよく』が実は、とっても大切だということをキティちゃんの赤いリボンが表しています。
3つめは『助け合い』が大切だということです。キティちゃんに口がないのは、言葉だけでなく態度で相手への思いやりを示すことが大事だということを表しています。困っている人には、相手の気持ちになって進んで手を差し伸べて助けてあげることが必要だと、キティちゃんは私たちに教えてくれているのです。
『いちご新聞』2010年3月10日号 創刊35周年記念 p.2
[50] たとえば、下記の読者の投稿にもとづけば、すくなくとも『いちご新聞』初期の辻のメッセージが、「かわいい」を論じるどころか、「かわいい」とはむしろ対比をなす主題を論じていたことになる。
かわいらしい商品にくらべて、王さまのメッセージその他が、なんというか少しおとなっぽい、ためになるようなことが書いてあるのにおどろきました。私も王さまのようなおとな(新聞にのっていた人と同じ意見)に、すなわち、子どもの心をとらえ、それでいて数多くの知識を授けるそういうかわいい、しかし力強い感じの人になりたいんです。
東京都目黒区 花井園子
『いちご新聞』1976年4月15日号 p.5
[51] 『いちご新聞』2010年3月10日号の「王さまからのメッセージ」(本文と注49に引用)と比較。
[52] Hello Kitty’s Kawaii Paradiseプレスリリース 株式会社プレジャーキャスト、株式会社ヴィーナスフォート 2010年8月6日(https://www.mori.co.jp/img/article/100806.pdf)
可愛い
可愛い!は
大好き、大切
守ってあげたい
ってこと
可愛い、は
全ての人の心を
大きく開かせる
最強の力!
――(中略)――
「可愛い」は「知性」とは対極にあると思われがちですが、それは表面的な見方です。無邪気さや純粋さを知性の欠如や不足と見るのも、間違いです。「可愛さ」は「知性」を超えたものであり、人が何かに対して、本当に可愛いと思えるには、高い知性と高い意識が必要なのです。
「可愛い」は、実は「いのち」のことです。可愛いと思うことは、いのちといのちの響きあいなのです! あなたは、自分の中にある(いのち=可愛さ)に気がついていますか?
葉祥明「幸せになるための心のハーブ」Vol.55
『いちご新聞』2011年12月10日号 p.31
[54] いちごの王さまからのメッセージ
キティちゃんは、これからも『可愛い・仲良く・助け合い』を伝えていきます❤︎
『いちご新聞』2013年11月号(1年後のキティ40thに向けて) p.2
いちごの王さまからのメッセージ
キティちゃんは世界中の人に、『かわいい』『なかよく』『助け合い』の3つのメッセージをいつも伝えてくれている存在です。
『いちご新聞』2015年10月10日号 p.2
いちごの王さまからのメッセージ
キティちゃんは優しくて可愛くて、どんな時でも私たちのそばにいてくれる大切な存在。そんなキティちゃんが、いつも私たちに伝えてくれている3つのメッセージ『かわいい』『なかよく』『助け合い』について、もう一度、みんなで考えてみましょう。
まず、1つめの『かわいい』は、容姿や恰好のことだけでなく、態度や言葉遣いを含めて周りの人から愛される人になってね、というメッセージです。キティちゃんを見て、みんな「キティちゃん、かわいい!」って言うけど、それはキティちゃんがだれにでも親切で、とっても優しいからなんですね。
『いちご新聞』2016年10月10日号 p.2
[55] 以下、『いちご新聞』各号の「いちごの王さまからのメッセージ」から。毎年11月(10月10日)号は、キティの誕生祝い号である。
王さまは42年間ずっと『みんな仲良くしよう』『助け合いの気持ちを大切にしよう』というメッセージを送り続けてきましたが、世界はそんなに変わっていないことが悲しくて、残念です。
――(略)――
でも、いちご新聞創刊時の42年前と確実に違っていることもあります。それは、世界中の人たちがキティちゃんを知っていることです。みんなも知っているとおり、キティちゃんは友情のシンボルであり、「NAKAYOKU」のメッセンジャーです。
2016年12月10日 p.2
キャラクターは「みんな仲良く」の気持ちを伝える、メッセンジャーです★(タイトル)
2017年6月10日号 p.2
友情のシンボル、キティちゃんの願いは「みんなが仲良く、助け合うこと」(タイトル)
2017年10月10日号 p.2
祝600号!!
これからも、みんなで仲良く歩んで行きましょう。(タイトル)
――(中略)――
そしてみんなの大切なお友だち、キティちゃんも王さまと一緒に40年以上ずっと「仲良く」のメッセージを伝え続けてくれています。(p.3)
2018年1月10日号 pp.2-3
11月1日は、キティちゃんのお誕生日、そして『友の日』です☆(タイトル)
2018年10月10日号 p.2
大切なお友だちに感謝を伝える日
『友の日』を、一緒に広めていきましょう☆(タイトル)
2019年10月10日号 p.2
友情のシンボル、キティちゃんのお誕生日は『友の日』でもあります。(タイトル)
2020年10月10日号 p.2
1月11日は『友の日』です。大切なお友だちに、お手紙を贈ってみませんか?(タイトル)
2021年10月10日号 p.2
王さまにとってキティちゃんは、一緒に成長してきた「心の友」です♡(タイトル)
2022年10月10日号 p.2
[56] 本文に引いた『いちご新聞』1984年4月5日号の辻のメッセージのテーマは、「みんなからすかれる人になろう」である。たほうで辻は、たとえば1975年には、「愛されること」という似かよったテーマを論じている。
でも王さまは、おもうのです。幸せって、まわりの人たちから愛されることではないかと。
――(中略)――
もしあなたが、尊敬され、愛されたいと思うのならば、まずあなた自身がまわりの人たちに対し、やさしく暖かい思いやりの心を持ち、尊敬し、愛してあげなければならないのです。
『いちご新聞』1975年12月1日号 p.4
そのうえで、「みんなからかわいく愛される人になってください」(『いちご新聞』1984年4月5日号 p.2)という表現に見られるように、辻は、「かわいい」ことを、おそらく「可愛い」というあて字の意味を重視しつつ、愛されることとほぼ同義ととらえる、あるいは、愛される資質ととらえる傾向がある。とすれば、辻自身にとっては、愛されることをテーマとしてきたという意味で、「かわいい」をテーマにしてきたという認識が成り立つと言える。
「かわいい」と愛(する/される)、また、「可愛い」というあて字とのかかわりは、「かわいい」の歴史にとって大事であり、「かわいい」を愛されることであるととらえることの妥当性も含め、別稿で論じたい。
[57] また、35周年記念号では、1960年代のサンリオ(山梨シルクセンター)が「いちご」のパタンから始めた理由を、たんに「かわいい」からと紹介している。
理由はシンプル!”かわいい”から。
当時、ストライプや水玉柄はあったけれど、まだかわいいデザインの物がない時代。そんな時代に、いちごの王さまがとにかく”かわいい”物を作りたいと”いちご”に決定!
『いちご新聞』2010年3月10日号 創刊35周年記念 p.15
が、PR版では、「「かわいい」の歴史と理論02」に見たとおり、「いちご」新聞というネイミングにかんしても、「可愛い」けれども「ヤボったい」ゆえに、「品よくいきたい」という趣旨があった。つまり「いちご」は、「かわいい」一辺倒というわけではなかった。これにかんしても1984年に、いちごと言えばかわいいという図式が主張されている。
Q2
サンリオがいちごにこだわるのはなぜ?
いつからいちごとなかよしになったの?
A たくさんのものの中で、いちごほどかわいいふんいきをもつ果物はないからです。――(略)――
『いちご新聞』1984年4月5日号 p.3
[58] 上前『サンリオの軌跡――夢を追う男たち』1982(原版1979) p.39
[59] 西沢『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』 サンリオ 1990年 p.90
[60] 西沢『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』 サンリオ 1990年 p.90
[61] 西沢『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』 サンリオ 1990年 p.51
[62]上前『サンリオの軌跡――夢を追う男たち』1982(原版1979) pp.124-125
[63] 西沢『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』 サンリオ 1990年 pp.167-170
[64] ケン・ベルソン、ブライアン・ブレムナー(酒井泰介訳)『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』東洋経済新報社 2004年(原書2003年) p.151
✳︎「カワイイものは、ちょっと世の中からずれている」は、本書がクリスティアン・ヤノのことばを引いている。
[65] ベルソン、ブレムナー『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』2004(原書2003) p.157
[66] ベルソン、ブレムナー『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』2004(原書2003) p.137
[67] ベルソン、ブレムナー『巨額を稼ぎ出すハローキティの生態』2004(原書2003) p.153