「北海道の美術・戦時下の動向について 1938-1945」の調査報告と今後の展望/田村允英

「北海道の美術・戦時下の動向について 1938-1945」の調査報告と今後の展望/田村允英

1.はじめに

 2022年2月24日、ロシアはウクライナに対して軍事侵攻を開始した。その戦火は半年以上が経過した現在も収まる見通しは立っていない。1日も早い戦争終結を祈るばかりである。

 大きく国際情勢が動き始めた2022年3月、『北海道立美術館・芸術館紀要 第31号』で共同研究者である佐藤幸宏氏(札幌芸術の森美術館館長)と沼田絵美氏(小川原脩記念美術館学芸員)とともに、一つの調査報告を発表した(ただし、脱稿は2021年12月末)。戦時下(1938-1945)における北海道ゆかりの作家たちの活動状況をまとめたものである。本報告は北海道立近代美術館の公式HP1でも公開されているため、比較的アクセスしやすい文献と言えるだろう。

 今から時間を少し遡ること約7年、第二次世界大戦終結70周年を迎えた2015年前後に、『別冊太陽』や『美術手帖』といった美術雑誌で戦争画の特集が組まれたことを記憶されている読者もいるだろう2。この他、戦争記録画153点を所蔵する東京国立近代美術館などで戦争をテーマとした展覧会が開催3されるなど、全国的にも戦争画が再検証される年となった。北海道では美術展開催には至らなかったものの、北海道新聞社編集『戦後70年 北海道と戦争』が上下巻で出版され、戦争の記憶を風化させないための試みが行われた。

 それから約6年が経過した昨年、筆者はようやく北海道の戦争画研究のスタートを切った。本研究は始まったばかりであるため、今回は上記の研究紀要を元にした調査経緯や概要、簡単な考察を述べるにとどめたい。というのも、本稿を執筆した2022年8月現在、不十分ながら資料収集を行い、情報の一元化はしたものの、筆者の能力不足もあり作家の個別作品やその時代全体の傾向を詳細に分析するまでに至っていないためである。このような調査研究活動が開始されたことを告知することで、「日本美術史の空白」4とも形容される戦時下の美術に対して、より多くの方々が関心を持つきっかけとなれば幸いである。

 

2.これまでの調査状況

 本調査を開始したのは2021年5月。日本における戦争画研究では『戦争と美術 1937-1945』、『日本美術全集18巻 戦争と美術』、『戦争美術の証言(上)(下)』などの基本文献が次々と刊行されており、近年充実の度合いを増している。対して、地方画壇の研究に目を向けると、その密度は小さくなるが、皆無というわけではない。北海道の場合、今田敬一著『北海道美術史』や『さっぽろ文庫17 札幌の絵画』、「十勝の美術クロニクル」展図録などで年代記的記述を主体とした先行研究がある。

 以上のような積み重ねがあることを踏まえ、北海道立近代美術館のコレクションを改めて見渡すと、従軍した画家の戦地スケッチ、戦争画関連の展覧会出品作、献納画等を確認できた。しかし、筆者が報告執筆当時に在籍していた同館では、戦争画を検証する展覧会は開館以来45年間開催されていない。作品の内容や時代背景、それに起因する研究の遅れがあったためであろう。こうした現状を考慮した上で、令和4年度のコレクション展では、戦時下の美術作品を公開することとし、そのための調査を開始した。

 戦時下に従軍した者、戦争に関わる主題を描き発表した者、また道内外で美術報国会等の戦時活動に従事した者など、戦争に関わった美術家は調査を始めてみて想像以上の広範囲に及び、またその数も少なくないものであった。そこで今回の研究報告では、上記コレクション展示で取り上げる北海道関係の画家6名、上野山清貢、小川原脩、菊地精二、高橋賢一郎、高橋北修、田辺三重松を中心に調査し、戦前から戦後にかけて彼らと深い関連を持った3名の画家、田中忠雄、西村計雄、能勢眞美を加えた計9名の戦時下の活動状況をまとめることにした。

 研究開始にあたり、各地の美術館で開催された個々の作家の展覧会図録を見直す作業を行った。これらの基礎資料をあらためて「戦争画研究」という観点から洗い直すと、画家たちと戦争との関わりが浮かび上がってきた。

 なかでも調査が進んでいた作家は小川原脩である。小川原は戦前・戦中を東京で活躍した画家であり、戦時下に陸軍省の依頼で戦争記録画を制作した。このうち《アッツ島爆撃》(1944年)と《成都爆撃》(1945年)は東京国立近代美術館へ無期限貸与されるなど、日本美術史の戦争画の項では、必ず参照される作品である。この美術館では小川原脩の作品を多数所蔵しており、その中には160点に及ぶ戦地スケッチも残されている5(図1)。戦争画研究者や新聞記者たちからの注目も熱い画家であり、近年もその足跡は新聞記事で大々的に取り上げられた6

 

図1:小川原脩記念美術館での調査。このようなスケッチブック3冊に160点のスケッチが保管されている。(2021年9月1日撮影)

 

 この他、個別の作家が戦後の新聞記事などで、戦時を回顧するものを数件見つけることができた7。こうした意味において、戦時下の北海道美術に関する資料は膨大に蓄積されており、早急に取り掛かることができるテーマであることを実感した。

 一方、戦火等で現存しない作品の写真のうち、近年刊行された図録等に掲載されていないものも数多くあることが判明した8。これらの情報は上記の資料及び国立国会図書館のデジタル資料を再調査するだけで相当量まとめることができ、共同執筆者一同が歓喜に沸いたことも記憶に新しい。

 このように概観すると、完全な新発見は少ない調査ではあったが、一つにまとめることに意味があったと思う。今回の報告では、過去の展覧会図録や戦後出版された単行本で紹介されていない事項を中心に掲載している。以下でその概要をそれぞれ紹介したい。

3.報告の概要

【資料①】 戦時下の作家活動年譜 [pp. 33~36]

 上野山清貢、小川原脩、菊地精二、高橋北修、高橋賢一郎、田中忠雄、田辺三重松、西村計雄、能勢眞美ら画家9名に関する、1938年から45年にかけての戦時状況に関わる活動の調査報告。比較対照しやすいよう一覧形式とした。

【資料②】 戦時下の展覧会出品歴(道外展) [pp. 41~44]

 北海道関係作家の戦時関連展覧会への出品作一覧。活動一覧で取り上げた9名だけでなく、彼らを含む37名の出品作を調査した報告。北海道関係作家すべてをカバーしたものではないが、主要な作家は網羅した。また図版が判明した作品のうち、23点を挿図として掲載した。

【資料③】 戦時下の展覧会出品歴(道内展) [pp. 48~49]

 資料②と同様、北海道内で開催された戦時関連展覧会への出品作一覧。道内各地で中心的な活動を行っていた画家14名に関する報告。参考に当該展で展示されていた代表的な画家たちの戦争画も掲載した。

【資料④】 小川原脩の戦地スケッチ [pp. 50~52]

 北海道関係作家として、軍から依頼された作戦記録画を制作した小川原脩が、従軍中に描いたスケッチの一覧。それ以前の兵役時のものも含め、全160点中、24点が過去に5日間公開されただけで(小川原脩「戦地スケッチ」展、2008年8月19~24日、小川原脩記念美術館)、大半は未公開の作品群の調査報告。代表的な作品10点の図版も掲載した。

【資料⑤】 作家執筆文章再録 [pp. 53~54]

 高橋賢一郎とともに北方方面キスカ島に従軍した上野山清貢が残した未公刊の手記「キスカ島記 その脱出の思い出」を翻刻。

【資料⑥】 作品図版 [pp. 55~60]

 資料②、③、④に関する作品図版。(図2)

 

図2:資料⑥の一部
(『北海道立美術館・芸術館紀要 第31号』p. 56より)

 

 ここで、筆者も担当した戦時下の作家活動年譜や戦時下の展覧会出品歴をまとめた上での気づきを、ごく簡単にまとめる。

 これらの文献にあたる中で、北海道では以下のような軍部による大規模な展覧会が開催されていたことがわかった。北海道海洋美術展覧会(計3回、海軍省後援)、大東亜聖戦美術展(計3回、陸軍美術協会等主催)、「撃ちてし止まむ」聖戦美術展(計3回、陸軍主催)。この他、高橋北修や田辺三重松などの個別の作家による従軍画展を含めるとその全体数はさらに増える。また、1930年代後半から1945年頃の道内各地方の40代前後の中堅作家が主に従軍していることが明らかになってきた。こと従軍に関して付言すると、大東亜戦争の開戦された1941年12月以降はアリューシャン列島や北千島方面といった北辺の要所への派遣が顕著となる。北海道の場合、旭川の陸軍第七師団報道部や北海道美術報国会、北海道地域の各新聞社などの関与を指摘できる9。ただし、その傍証となる記録の収集は不十分であるため、今後さらなる調査が必要である。

 また、作品の主題に目を向けたとき、戦闘場面を描いたもの割合は多くない。これは当然と言えば当然だが、北海道の作家たちは中国大陸に派遣された際も、激戦区ではなく非戦闘地域で取材したため、そもそもそのような場面に出くわさなかったことが大きな要因であろう(図3)。むしろ、この頃の作品で注目に値する主題は、道内で「鰊漁」(伊藤信夫や高橋北修など)や「木材の伐採」(西村計雄や大月源二など)といった勤労に励む人々の姿が挙げられる(資料③を参照されたい)10。これらはいわゆる「銃後」と呼ばれるものであり、戦地の兵士ではない国内に残された日本国民すべてが一丸となり戦争に立ち向かおうという挙国一致の態度を示したものと言える。紀要には掲載できなかったが、戦時下の北海道は精密機器に使用される砂白金の国内唯一の産出地であり、その発掘現場を描いた作品も現存している(図4)11

 

図3:山田正《張家口城外》1938年、所在不明(大日本陸軍従軍画家協会第1回展出品)
※『聖戰画譜』(1939年、美術報国会)より転載。
図4:桜井豊松《第三小隊敢闘図》1945年、北海道博物館蔵(弥永コレクション)
※『北海道博物館資料目録 第1集 弥永コレクション』(2017年、北海道博物館)より転載。

 

 その他、病院への絵画献納運動や、海軍へ潜水艦を献納するための絵画頒布会、戦争終盤に札幌や帯広で画家たちが共同製作した戦争壁画など注目すべき事項は多くある。今後項目は増える予定だが、主要な展覧会一覧及び各作家の活動歴詳細については、紀要の調査報告を参照されたい。

5. 今後の調査方針

 この1年間、新しい出会いも多々あり、戦争画に関心があることを様々な関係者に伝えてきた。このことが功を奏したか、さまざまな方から情報提供をいただけた。以下に謝意を込めてその内容を列挙する。

 小川原脩戦地スケッチ等(小川原脩記念美術館)、西村計雄関連資料(西村計雄記念美術館)、田辺三重松関連資料(北海道立函館美術館蔵)、高橋北修関連資料(北海道立旭川美術館蔵)、居串佳一のスケッチ(網走市立美術館長・古道谷朝生氏提供)、釧路新聞・北海道新聞(道東版)の新聞記事データ(北海道立近代美術館学芸員・瀬戸厚志氏提供)、帯広地域の戦時下美術年表(北海道立帯広美術館主任学芸員・薗部蓉子氏執筆)、岩船修三未刊行手記(市立函館博物館蔵)、今田敬一関連資料(北海道立近代美術館及び北海道立図書館蔵)などが挙げられ、これらを総合した上で、戦時下の北海道美術についてより詳細に分析することが今後の課題となるだろう。また、戦争画の分析にあたっては、北海道における戦時下の軍部の動きについて考察しなければ、当時の美術家たちが置かれた状況を明らかにすることには繋がらないであろう。

 また、この4月より北海道立函館美術館に異動となった。近代美術館で準備してきた展覧会については後任に引き継ぎ、これを機に道南地域における戦争画研究に力を入れていきたい。この地方では戦前より赤光社という美術団体が活発に活動しており、紀要でも報告した田辺三重松以外にも多くの作家が戦時を主題とした作品を手がけていることが報告されている12。異動後すぐに、道南地区の図書館や博物館、神社などを調査し、多くの戦時下美術資料を見つけることができた。特に函館市中央図書館では日々新発見がある。この1年間で道南における戦時下関連資料は潤沢に集めることができた。この内容は近く整理し、報告したいと考えている。

 ここまでに挙げた情報はまだ道内にとどまっている。しかし、北海道ゆかりの作家・作品は各地域に散らばっているため調査範囲を広げていくことも必要だ。一例を挙げると、東京都港区にある船の科学館には海軍従軍画家の作品が数多く収蔵されている。その中には本報告で紹介した上野山清貢と高橋賢一郎の作品もある。特に高橋賢一郎は戦後、従軍時の戦争画を公開し、歴史的価値のあるものとして残すことを主張していた13。戦争画との関わりはもちろんのこと、その画業が見直されるべき画家の一人だろう。

 調査はまだまだ始まったばかりで先を見通すことは叶わない状況であるが、やりがいのあるテーマと感じている。また、所蔵先が明らかになっていない作品調査も継続して行う必要があるため、協力者なくして研究の進まない分野とも言える。拙い文章ではあるが、これを読んで多くの方にその存在と意義を知っていただけると幸いである。終戦後80年となる2025年、北海道でこれまで包括的に見直されることのなかった戦争画を紹介する展覧会を開催することが目下の目標であり、そのための第一歩となることを願いたい。

 最後に、本研究を進める上で、大きな課題となるのは作品の在処を特定することだと感じている。鋭意調査を進めているが、われわれの力だけでは限りがある。戦争画をご自宅に所蔵している、もしくは何らかの作品の所蔵先をご存じの方がいらっしゃれば、以下の連絡先までご一報いただきたい。

田村允英(北海道立函館美術館学芸課)

tamura.masahide[at]pref.hokkaido.lg.jp
※[at]を@に替えてください。


 

脚注

  1. https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/knb/research/kiyoよりダウンロード可能。
  2. 『別冊太陽2014年8月号 画家と戦争 日本美術史の空白』(2014年、平凡社)、『美術手帖2015年9月号 絵描きと戦争』(2015年、美術出版社)など。
  3. 「MOMATコレクション 特集:誰がためにたたかう?」(東京国立近代美術館、2015.5.26〜9.13 *テーマ展の中で戦争記録画12点を出品)、「広島・長崎被曝60周年 戦争と平和展」(広島県立美術館、2015.7.25〜9.13)、「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」(名古屋市美術館、2015.7.18〜9.23)など。
  4.  『別冊太陽2014年8月号 画家と戦争 日本美術史の空白』(2014年、平凡社)。
  5. 注1にURL掲載の『北海道立美術館・芸術館紀要 第31号』pp. 50-52を参照。
  6. 「100枚のスケッチ 小川原脩 平和への願い(上)(下)」北海道新聞、2017年8月9~10日など。
  7. 国松登「よみがえる北方慕情 元従軍画家へ貴重な記念写真」(発行年月日不明、読売新聞)、田辺三重松「わたしの回顧」(1951年11月18日、函館新聞)など。戦後の新聞記事の包括的調査には未着手。今後の課題としたい。
  8.  たとえば岩船修三《軍犬班》(1942年、所在不明)。この作品は『大東亜戦争美術』(1942年、朝日新聞社)には写真の掲載があるが、展覧会図録『岩船修三展』(1987年、北海道立函館美術館)では年表での出品歴含め記載はない。今回の報告の資料⑥では、前述したような経緯をもつ作品等の写真23点を掲載している。
  9. 上野山清貢と高橋賢一郎のキスカ島派遣については、彼らが(おそらく横須賀の)海軍報道部に直訴して実現した、と高橋は座談会で語っている。(「座談会 アッツを語る」 海軍報道班員同盟記者・松島實、海軍報道班員画家・高橋賢一郎 (出典:少女の友36(7) 1943年7月))
  10. 1944(昭和19)年4月に結成された軍需生産美術推進隊により全国規模で展開された、炭鉱や製鉄所、飛行機工場などでの美術慰問活動も忘れてはならない。北海道ゆかりの作家では田中忠雄が所属していた。
  11. 『北海道博物館資料目録 第1集 弥永コレクション』(2017年、北海道博物館)p.32。
  12.  大下智一「道南の洋画 大正から戦前期までの動向」『道南の美術 戦前洋画のあゆみ』(1993年、北海道立函館美術館)では、能戸幸や木村捷司の戦時下の活動に触れている。
  13. 『戦塵画集』(1972年開催の高橋賢一郎個展目録)。

研究ノートカテゴリの最新記事