荒井善則展『無意識が世界を版にする』/荒井善則

荒井善則展『無意識が世界を版にする』/荒井善則

 今年、北海道・旭川に足を下ろして50年目を迎える。
 旭川に住まいして、各地での個展や様々なグループ展に参加し、色々なフォルムが生まれた。北海道の自然の厳しさや、人を受け入れてくれる寛容に包まれた特有の地域性に育まれたことが大きく影響していると思っている。
 自ら企画した個展やギャラリー主催の場合は、新作を中心とすることが多かったが、今回の荒井善則展『無意識が世界を版にする』は、今までの個展とは一味違ったものとなった。北海道立旭川美術館の主任学芸員、門間仁史さんが旭川の美術状況を研究する中から生まれ、開催に至った。
 作品選定は、旭川の仕事場と長野の実家の2ヶ所で行われた。造形やインスタレーションなど、展示が終わると集合体からパーツにして箱に収めたものは除外した。
 作品展示では、版を生かした作品を中心として、門間さんとのインタビューや会話から、タイトルを「無意識が世界を版にする」に決めた。学芸員の目を通した荒井善則の展示に添って、大学卒業論文・作品から今日に至る個展やグループ展で発表した作品と制作について、演劇の場面になぞらえて活動報告するものである。


《活動報告を語る》
演目:荒井善則展『無意識が世界を版にする』
脚本演出:門間仁史(北海道立旭川美術館主任学芸員)
演者:荒井善則
舞台:北海道立旭川美術館第2展示室

― 開場 ―
ようこそ『無意識が世界を版にする』の舞台へ

一場 <卒業研究〜韓国との邂逅〜>

 1960年代後半の全国的な学園紛争の波は、母校東海大にも押し寄せ、ロックアウトを経て、70年には落ち着きを見せていた。その秋、学科の有志が集まりグループ展を開催した。

 これからの制作コンセプトを追求する目的から、卒論のタイトルを「東洋思想の礎に表現された空間の意」に決めようとする時期でもあった。
 大学の京都・奈良への古美術研究旅行で出会った飛鳥仏「虚空菩薩像」(法輪寺)は、仏師止利一族作と云われ、引率者だった彫刻家・小畠廣志の解説から時代背景とそのフォルムに魅了された。
 そんな折、朝鮮美術を調査したいという小畠廣志に誘われ、2週間ほど韓国の旅に出た。1971年10月、日本との国交が回復して6年後のことだった
 ソウルの街並み、李王朝の宮殿やソウル近郊にある巨大な岩山・普賢峰、三国時代の都だった広州や慶州の自然の美しさを垣間見た。この地独特の風土から生まれ、時代によって違う姿を見せる文様や造形、百済仏や新羅の磨崖仏、博物館に展示されている様々な文化的遺物が日本のものとは大きく異なっていることに驚いた。

二場 <恩師・小畠廣志のこと>

 小畠廣志の彫刻とリトグラフ・シルクスクリーンの作品展示

 故郷を離れ、往復4時間の通学で一日も早く専門教育を受けたいと願う中、同じ志を持った学生や教員との出会いがあり、その一人が小畠廣志だった。
 大学に入ってすぐに始まった授業は、胸像や全身像の石膏像を鉛筆や木炭で描くデッサンから始まり、更に唐紙に面相筆を使い墨で描いた。人体のフォルムを適切に掴み、濃淡の墨で一本の線を一定の速さで動かさないと、唐紙には墨が滲み出て、立体のボリューム感が失われてしまう。線がスムースに引けるようになっても、人体のデッサンは石膏像とはかけ離れたものになってしまう。
 出された課題には工業図面のトレースや、伝統的なシンボルマーク・ロゴタイプの模写があった。印刷されたオリジナルを集め、実物を見ながらポスターカラーで色合わせし、面相筆を使い小さな文字を描いていく。
 リンビールのラベルの模写では、伝統的な図柄や文字のバランス、線の細かさに時間がかかり提出ギリギリまでかかったことが、今でも印象に残っている。
 膏デッサンは、受験時とは大きく違い、面相筆による墨の濃淡や線の太さから、立体把握の大切さを学んだ。模写からは、先人が培った伝統から引き継いだデザイン力を体験した。
 小畠廣志は東京芸大で彫刻を学び、東海大学や美学校で教鞭を執りながら、独自の制作を続けた。1977年には木彫の平櫛田中賞を受賞し、その後彫刻工房を開設して、ブロンズや版画の教場を持った。

三場 <美術家としての出発>

 銅版画(エッチング)、木版画作品展示。

 人物をモティーフに、人間の感情とフォルムによって表出する作品制作。
 版画の魅力の一つは、同じものを多数刷れることである。版となる素材の特性から、凸版として木版画、凹版として銅版画、平版として石版画、孔版としてシルクスクリーンがあり、近年はインクジェットプリントもその範疇に入るようになった。
 版画作品は、原画、版制作、摺りといった分業的な要素が多分にあり、それらは技・テクニックに依存する面が多い。
 銅版画制作では、硝酸や塩化第二鉄の溶液が金属に及ぼす腐蝕効果の時間から、線や面の深さの強弱を見極める技が必要となる。北海道での冬場の腐蝕作業は、室温や液温の温度差によって大きく違ったものとなってしまう。
 版に塗るグランドも又、室内の温度により線や面の表情に変化が起きる。
 ニードルでの線、スクレーパーでの面は温度変化から新たな表情が表出し、画面や表現方法に新たな魅力を見つけることが出来た。
 夏冬の寒暖の差が約60℃となる旭川の地では、腐蝕の手法による銅版画制作は室内の環境整備等色々な制約の中で行われ、一定の条件による制作の難しさを知った。

四場 <独自の版画表現を目指して>

 寒冷紗によるフロッタージュ、木片を貼り付けた木版画、版下トーンの組み合わせによるシルクスクリーン作品展示。ものや形を描かない、テクスチャーや素材の変化を生かしたオールオーバーな画面構成から版画制作を試みた作品。

個展「版+ONE」(1981年:札幌・NDA画廊)
 木造建築の1階にあるNDA画廊の空間が気に入り、「版+ONE」展を開催する。
 青色と桃色の顔料をそれぞれのベニヤ板に塗り、寒冷紗に黒インクをつけて転写する。それぞれ同色の紙に寒冷紗を転写し、レリーフ化してピンで貼る。
 青色と桃色の2色の画面を、壁一面に展示した。銅版画制作で使用する寒冷紗は、版からインクを拭き取る作業にとって重要な素材である。転写された寒冷紗から、様々な表情がある画面を作り出すことが出来た。

個展(1983年:札幌・ギャラリー レティナ2)
 「林の中の12枚の板」は、林の中の木に板を取り付けたインスタレーション。12枚の板の設置過程をビデオで撮り、設置が終わった状態をシルクスクリーンでプリントする。
 「痕跡―土による」は、粘土をヘラで引っ掻き、それを窯で焼いてから撮影し、写真製版によりシルクスクリーンでプリントする。
 「痕跡―木片による」は、薄いベニヤ板を任意の大きさでちぎり、板状の平面にボンドで貼る。そこにインクをつけ、紙や布を置き転写する。ベニヤ板による木版画が誕生する。
 「Trace of the Tape – Summer Time」は、様々な種類のスクリーントーンを切り抜き、画面全体の版下を作り、シルクスクリーンでプリントする。

右から「版+ONE」、「痕跡―土による」、「Trace of the Tape – Summer Time」

五場 <旭川の美術運動との関わり>

 アーティスト・ユニオン、美術館2nd.ロフト、アート・ラボ等の資料展示。

 旭川市内の仲間たちと協働空間を設け、グループ展、講演会などのイベント企画を行った。同世代の制作者として新たな表現と、次のステップに向かうための実験的な課題を課しながら、自身の思考や幅を広げる活動に参加する。


「アーティスト・ユニオン北海道シンポジウム」(1976年:旭川市文化会館)
 アーティスト・ユニオンは、1975年に全国合議体事務局として兵庫県西宮を起点に、各地で誕生した。各地で繰り広げられるアーティスト・ユニオンのシンポジウムは、作品展示や講演会、座談会等の開催があり、76年に旭川でも開催された。現代美術の現状を垣間見る思いで、作品や講演会に興味深く参加する事が出来た。

「美術館2nd.ロフト」(1979〜80年)
 1979年、旭川市内に住む制作者や作家25人が中心となり、「行動する場」を作ろうと「美術館2nd.ロフト(セカンドロフト)」が誕生した。
 2nd.ロフトでは、ギャラリースペースを持ち個展やグループ展開催、ダンス、座談会など様々な表現の機会を増やした。
 2年間の記録集「表視ロフト」を編集し600部を発行する。

「アート・ラボ」(1982〜83年)
 旭川市の繁華街にある商業施設の一角を借用し、ORGANIZATIONアート・ラボが誕生した。会員を募り、運営委員を持ち回りとしながら、会費を徴収し年2回の機関紙「ART LAB.」を発行した。
 制作活動の枠を超えたイベントや、社会との関わりを持ちながら、まちづくりを模索する。表現活動に併せ、印象に残る作品や作家について独自の見解を発表する機会を持った。その中で、「もの派」と李禹煥(リ・ウーファン)について持論を展開した。

「旅する現代美術・オペレッタ+アート・ラボ」展開催(1983年:旭川市文化会館)
 関東を中心に活動するグループOPERETTAからリクエストがあり、旭川・札幌の作家からなるアート・ラボとの合同展を、旭川市民文化会館展示室で開催した。現代美術を希求する交流展として、他地域で活動する作家との交流は、作品の動向や指向性を俯瞰する意味から、他流試合のような緊張感を持ったものであった。

「TRANSMISSION ART NOW 発信展」(1981年:旭川西武アムスホール)
 空間全体を一つの作品群とする「場」を構成する「TRANSMISSION ART NOW 発信」展を開催する。札幌、旭川、帯広のメンバーによる新たな表現の場として、デパートの催事場の空間を利用した実験的な会場構成の展覧会となった。
 インスタレーションとして、会場の柱とパネル2面にインクで寒冷紗を転写した連続性のある紙を展示する。床面には、同じインクで寒冷紗を転写した粘土板を置いた。

「CIRCULATION ’85」(1985年:札幌・旭川・北見・帯広の北海道広域現代美術展)
 「ネットワーク・フットワーク・アートワーク」、「同時多発的美術現象化」をキーワードに、北海道広域現代美術展を開催した。ファクスによるインフォメーションセンターを設け、各地を結んで情報交換する。
 旭川市内各所では屋外でのインスタレーションを展開し、バスツアーを計画した。  北見の北網圏北見文化センターでは、札幌・旭川・北見・帯広から参加したメンバーによる展覧会を開催した。
 「梨畠の木々を包む空気は見つめられながら流れるままに流れゆく」は、厚さ数㎜のベニヤ板を20㎜から30㎜の幅に切断し、離農した畠に放置された梨の木に取り付けた。静寂な畠は、ベニヤ板が風にそよぎダンスをしているような光景となった。

「CIRCULATION ’85 北海道広域現代美術展・資料」発刊(1996年:実行委員会)
 色々な活動から、社会、地域、時代との関わりにより、アカデミック教育では理解する事が出来なかった新たな表現方法を学び、実践による体験を得た。

六場 <プリントアドベンチャー展>

 版画の概念を拡大する「プリントアドベンチャー」展に参加。

 プリントアドベンチャー展では、版の特性を図りながら、従来の作品ではないものを、と画策し制作を始める。
 「Trace of the Tape」(1990年)は、テープの痕跡を布の特性を生かした作品である。
 布に紙のマスキングテープを任意の大きさにちぎり、そこにタンポ状のもので墨をつけていく。そしてテープを剥がすことで、テープの痕跡が残る。墨、朱墨とテープの痕跡を繰り返し、画面全体を構成する。

 「Soft Landing to・Mable Stone」(2003年)は、インスタレーションと版の併用で制作した作品である。30㎝の球体(白大理石)を、公園やグランド、道路などに設置し、その光景を撮影しインクジェットプリントでプリントアウトする。壁面にインクジェットプリントを貼り、前の床に球体を置いた。


  • 「プリントアドベンチャー」展(1986、90、98年:北海道立近代美術館)
  • 「ソウルプリントアドベンチャー展(1987年:韓国国立現代美術館)
  • 「アジアプリントアドベンチャー2003」(2003年:北海道立近代美術館)
  • 「アジア・プリントアドベンチャー’08」(2008年:音威子府)

七場 <イギリス研修と自然への関心>

 大学のサバティカル(長期研究制度)を利用し、1996年4月から9月までの半年間、イギリス・メイドストーン(Maidstone)にあるKent Institute Art & Design(K.I.A.D.)において、作品制作をする機会に恵まれた。ロンドンから南東に位置するMaidstoneは、広大な公園がいたるところにあるカントリーサイトで、通学や散歩で新緑と花が美しい季節に出会うことが出来た。ホストファミリーは好意的で、ドライブや散歩に誘ってくれたり、娘の結婚式や家族ぐるみのパーティーに参加させてもらった。
 授業なし会議なしの生活で、月曜日から金曜日の朝から夕方まで、教室の片隅に専用の机を確保してもらい、工房で版画制作を続けた。
 K.I.A.D.ではシルクスクリーンの製版機が使えないことから、直接スクリーンの画面にリト用の墨で描き、上からメジウムを塗って製版する。プリントはスキージを上から下へ移動するのではなく、左右横への移動で力を入れることなく容易にプリンティングが可能になった。版画工房のテクニシャンのテリーとは、毎日顔を合わせテクニックや授業のことを教えてもらい、ほとんど教室で過ごした。時には、自宅に招かれて食事会に参加させてもらった。学校以外では、香港や台湾、日本からの留学生と気があったことから誕生パーティーや食事会に誘われた。
 学校が休みになる週末は、鉄道の格安チケットを利用し、ロンドンにある美術館、博物館やギャラリー、アンティークショップ巡りを楽しんだ。
 Maidstoneに滞在した26週間は、日本の日常から離れた作品制作三昧の毎日で、制作した26作品をジョージ・ロジャーギャラリーに展示した。

©山岸せいじ

八場 <Soft Landing to Season>

 版による痕跡をテーマとしたオールオーバーな表現と同時に進めたインスタレーションの表現が加わったことにより、空間を意識した表現へと変わった。
 インスタレーションでは、架設の場を意識しながら、版の特性を生かしたエディションがあるような同形を繰り返す、シンプルな造形や自然素材にこだわった。
 版からインスタレーションへ、自然空間の中で、ギャラリーや美術館のホワイトキューブの中で、そして民家や歴史的家屋の中で造形することは、版を作る上での意識を変えることになる。
 多数のプリントを可能にするシルクスクリーンによる版は、製版を伴わない一点の版に変わった。ティッシュペーパーのテクスチャーを生かし、スクリーンを使い透明のプラ板に擦る。それを作品となる紙に置き、インク面を下にして転写する。

 版による作品のタイトルのほとんどを〈Soft Landing to Season〉として、インスタレーションでは〈Soft Landing to …〉と、…には場所や地名を付けた。

九場 <韓国・東洋思想の消化>

 1971年の初訪韓以来、調査や個展・グループによる交流展などで、ソウル、光州、済州島など40回を数える。ひたすら歩き、地下鉄に乗り、バスで移動する。昔馴染みの味噌汁をすすり、ステンレスの茶碗と箸で飯を食い、種々のキムチに生野菜、ゴマ風味の海苔、焼き魚の定食で腹を満たす。友人と酌み交わす眞露やマッコリ、爆弾と称するビールにウィスキーを入れた強烈なアルコールは、時を忘れさせてくれる。
 卒研から50年を経た今、東洋思想の礎に表現された空間の意とは、一体何だろう。
 色を見つめ、空間を見つめ、自然を見つめ、ものを見つめ、時を見つめ、時代を見つめ、版を見つめ、自我を見つめ、重なり合った部分を消し去っていく。
 無意識の中から間接的なテクスチャーと手の行為が空間を生み出し、見つめた様々なもの、全てのものに意味があるように、偶然の出会いは必然となり、新たな空間を生み出していく。
 時代の流動、自然の流動、思考の流動、表現の流動。それらの根底には流動されない人間が生きるという不動の摂理が内在する。
 個人が受け継ぎ、世界から与えられた、その地に存在する感性の具体例として、無意識の表現へと移行する。


●韓国のソウル、光州、済州島や北海道札幌・旭川等で参加した主な交流展

  • 「ソウルプリントアドベンチャー展」(1987年:韓国国立現代美術館)は、86年に来道した李慶成(リ・キョンソン)館長の企画により、韓国作家と北海道作家による版の概念の拡大を図る韓国版プリントアドベンチャー展であった。
  • 「島から島へ KOREA-PRINT-JAPAN」(1991年:韓国済州島文化センター)北海道と済州島の版による交流展が行われ、この場から多くの友人を得る。
  • 「ソウル―サッポロ展」(1992年:韓国ソウル市立美術館)
  • 「PRINT WORKS アートセッション展」(1994年:北海道立旭川美術館)旭川市と韓国・水原市姉妹都市を記念する交流展。
  • 「水脈の肖像・韓国展」(2007年:韓国ソウル・鍵美術館)「水脈の肖像展」の韓国版として、尹東天(ユン・ドンチュン)氏による企画展。
  • 「光州―北海道美術交流展」(2014年:韓国光州国立博物館)光州文化財団と北海道文化財団の主催による、光州での美術交流展。
  • 「希望のレポート 北端と北端、あるいは正中央」(2015年:韓国楊口・朴壽根美術館)韓国の楊口(ヤング)は38度線近くの非武装地帯にあり、朝鮮半島の真ん中にある。平和を願う人々の想いを、「希望のレポート」展として開催された。会期中、共同制作のモニュメントやリボンによるインスタレーション、小学生が粘土で制作した鳥を野焼きして、参加作家の作品と共に美術館に展示した。
  • 「2+2 北海道・光州美術交流展」(2017年:札幌・ギャラリーレタラ)光州と北海道の美術交流展として2016年より始まり、北海道作家2人+韓国作家2人が2期に分けて作品展示し、シンポジウムでは作家によるトークを持った。
  • 「ダムギ展―身障者と健常者」(2018年:韓国光州・河正雄美術館)光州にある河正雄美術館は、在日韓国人の河正雄氏が両国の作家の作品をコレクションし、寄贈した美術館である。韓国で初めての身障者と健常者による両国作家による作品展であり、オープニングとして箏・三絃を北海道演奏家が、カヤグム(韓国箏)を韓国演奏家が演奏するミニコンサートが行われた。

 韓国との交流展を通して、日本作家と韓国作家の思考や表現方法の相違を理解し、何よりも人的交流から彼らの温かい友情や思いやりを得たことが、大きな成果の一つではなかっただろうか。

十場 <無意識が世界を版にする>

 テレビ画面から、シルクスクリーンとモノタイプによる制作動画が流れる。

 第1工程:アルシュ紙に黒色のインクでシルクスクリーンでプリントする。試し刷りを重ね本刷り。(摺機のスイッチを入れると、バキュームの音がする)

 第2工程:20㎜の角材の角にインクをつけてモノタイプのラインを施す。この間20秒。緊張感の中で、キュキュと角材を押しける音が響く。
 黒インク、緑インク、赤インクをほぼ並行にモノタイプのラインを繰り返し擦る。
 線を引く行為は、建築の道具として使用された墨壺からヒントを得たものである。
 木材で線を引く行為は、線を描く、線を擦る行為として、テクスチャーがある紙に表情豊かな痕跡を残す。
 墨壺から生まれたラインは、木材の角にインクをつけて擦り出す行為に代わり、空間を意識させるような新たなラインが成就する。


 コロナ禍の中のパンデミックをテーマにしたインスタレーションである。
 アクリル箱の中に「薊」、「松ぼっくり」、「蝉の殻」を一合升の中に収め、金属棒でシールする。一合升に入れる素材と台紙の3色は別として、三つの造形はほぼ同形とする。
 地面には黒の大理石を配し、その上にスクリーンプリントとモノタイプのレリーフを置く。対角線上に切り目を入れ、隙間からラインが見えるように設置する。隙間のベースだけを色違いにして、造形はベースと同形とする。
 インスタレーションでは、版を拡大させたコンセプトから、エディションを限定した最小限で繰り返す造形に結実したと言える。

©山岸せいじ
右)《「蟬」が啼く大地 いずこ》 2020年
  蟬の殻、和紙(スクリーンプリント、モノタイプ)、木升、アクリル、糸、金属、大理石等
中央)《「薊」が咲く大地 いずこ》2020年

  薊、和紙(スクリーンプリント、モノタイプ)、木升、アクリル、糸、金属、大理石等
左)《「松ぼっくり」が実る大地 いずこ》2020年

  松ぼっくり、和紙(スクリーンプリント、モノタイプ)、木升、アクリル、糸、金属、大理石等

●参加した主なインスタレーションによる展覧会

  • 「シーサイド展」(1982年:小樽 旧税関跡地)シーサイド展は、初めての野外展参加となった。作品は、岸壁から木材をランダムに並べ、5m四方のテントを杭で打って張り、たわんだ中に海水を入れたインスタレーションとした。
  • 「北海道作家展」(1984年:北海道立近代美術館)「札幌アバンギャルドの潮流展」(1994年:北海道立近代美術館)
  • 「北海道アンデパンダンとその後の展開展」(1996年:北海道立旭川美術館)
  • 「水脈の肖像展」(1998、2000年:札幌大丸藤井、02、06、09年:北海道立近代美術館)水脈の肖像展は、北海道の新たな現代美術を追求する目的から、北海道と韓国やドイツ作家を交えた企画展であった。数年に一度開催し、都合5回を持って終了した。
  • 「北海道立体表現展」(2001、03、06、08、10年:北海道立近代美術館)北海道立体表現展は、彫刻や造形の立体に特化した企画展として、10年間で5回を数えた。
  • 「ハルカヤマ藝術要塞展」(2011、13、15、17年:小樽・ハルカヤマ)小樽市郊外にある春香山の中腹を利用し、インスタレーションや彫刻、造形等を展示する野外展となった。
  • 「帯広コンテンポラリーアート展」(2011年:真正閣の100日、14年:防風林アート、15年:マイナスアート展、16年:ヒト科ヒト属ヒト展・帯広、17年:河口展)帯広コンテンポラリーアート展は、その都度テーマや会場を変えた展覧会として、十勝の魅力を十二分に発揮した展覧会となった。

 参加したグループ展の大半は、作家自身による企画から展覧会開催まで実行委員会形式によるものであった。出品作家からの参加費や公的な基金、広告を集め作家自らが主催する自前の展覧会であった。
 インスタレーションによる作品制作にあたり、会場を把握し造形の全体像を理解するために、エスキースや展示予想図を描くことから始める。エスキースは、大きさやパーツに分かれた部分の詳細を描くことから、材料の手配やディテールの作業がし易くなる。

 1980年代より展覧会の図録の出版があり、展覧会の目的や出品作品、作家の略歴や資料が添付された。特に屋外でのインスタレーションは、展覧会が終わると作品の再生が困難になることから、記録を残す意味でも重要となった。

荒井善則(美術家/元・東海大学芸術工学部教授)


< >は、門間仁史さんによる『無意識は世界を版にする』の解説項目を参照させていただきました。これを元に、参加した展覧会や作品についての説明を加えました。

※クレジットのない写真は、荒井善則、門間仁史、古家昌伸が撮影しました。

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