―池田緑展を終えて―「マスク」、「日にち」、そして「言葉」について/池田緑

―池田緑展を終えて―「マスク」、「日にち」、そして「言葉」について/池田緑

 このほど、北海道立帯広美術館で開催された「池田緑展」(2020年12月19日~2021年3月21日)を終えたばかりである。同館主任学芸員・薗部容子さんによる自宅外2ヶ所(制作場所と旧自宅)に保存している作品の調査(全道展、独立展等に出品の油彩画の大作は除く)、作家としての40年間の多岐にわたる活動の把握、その上に立っての<俯瞰的・総括的な視点>および<最適な作品の選択>、そして<秀逸なテキスト>なくしては開催できなかった展覧会である。展覧会初日に会場に踏み入ったとき、「ジーンズ」「プラスチックテープ」「マスク」「言葉」「映像」の五つの様相で構成された見事な会場のたたずまいに、わが展覧会ながら思わず感嘆の声を上げたほどだ。改めて心よりの謝意を表し、今一度この機会に、「池田緑展」では紹介されなかった作品も含め、私のアートワークの主要な素材(モチーフ)の「マスク」「日にち」「言葉」に焦点をあてて(関連作品の「映像」にも触れるが)、現代美術の登竜門とされたコンクール「現代日本美術展」(毎日新聞主催、2000年に終了)に初応募、初入選した1996年に始まる、現代美術作家としての活動を振り返ってみたい。

「マスク」

『A world Masked, 1999 – 2011』/2005.6.30 Schwarzsee, Switzerland

 池田緑といえば「マスク」、「マスク」といえば池田緑、というように、私のアート活動を知る方々からは言われているが、1999年に北海道上川郡新得町のサホロダム湖周辺の2000本の樹木に「マスク」をかけて以降、「マスク」を素材に国内外でアート活動を展開して二十余年になる。(新型コロナウイルス感染拡大によって世界中の人々がマスクをかけるようになるなどと、誰が予想しただろう。)
 <マスク・プロジェクト>と名付けたこれらの活動については、2002年に帯広の競馬場で国際現代アート展「デメーテル」(会期:7月13日~9月23日、総合ディレクター・芹沢高志さん)が開催された折に、北海道立帯広美術館(学芸課長・寺嶋弘道さん)で「ニルス=ウド展」とともに同時開催された「十勝の新時代Ⅴ 池田緑展」(会期:7月12日~9月16日)に、すでに確かな胎動を見ることができる。
 その胎動は、8年後の2010年に北海道立釧路芸術館(学芸主幹・寺嶋弘道さん)で開催された「池田緑展 Silent Breath―沈黙の呼吸」(会期:9月14日~10月24日、会場:フリーアートルーム)で、いっそうの進展を見せた。
 その後の「マスク」を用いた活動については、長期にわたり、表現の手法も種々様々で、限られた誌面
での紹介は難しく、2011年作成のホームページ(今後、手直しの予定)をご覧いただければと思う(註)。

「マスクをかけた世界のまち」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ikedamidori/01-01work02.html

「ひとつの事態 マスクをかけた2000の樹」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ikedamidori/01-03work00.html

(註)「マスク」に関連した主な文献としては、「十勝の新時代Ⅴ 池田緑展」を担当された石尾(現・藤原)乃里子学芸員によって編まれた展覧会図録を筆頭に、2冊の自著(単行本)と1冊のパンフレット、『美術ペン』(北海道美術ペンクラブ発行)に掲載の自筆文がある。

□『十勝の新時代Ⅴ 池田緑展』(2002年、北海道立帯広美術館)
□『池田緑 Silent Breath―沈黙の呼吸』(2010年、北海道立釧路芸術館監修、池田緑編集・発行)
■『マスクをかけた世界のまち A World Masked, 1999 – 2011』(2015年、池田緑著、現代企画室)
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-1507-8
■『ひとつの事態 マスクをかけた2000の樹、1999 – 2005』(2019年、池田緑著、現代企画室)
http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-1902-1
□「マスク・プロジェクト」―その経緯と展開―/『美術ペン109 2003 SPRING』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ikedamidori/02text.html
□「マスクをかけた世界のまち 新型コロナが生み出した新しい文化としてのマスク 前編」/『美術ペン159 2020 SPRING』
□「マスクをかけた世界のまち 新型コロナが生み出した新しい文化としてのマスク 後編」/『美術ペン160 2020 SUMMER』


■「映像作品」

 さらに「マスク」は、思いがけない事件に遭遇したことで映像作品をも生み出すことになった。
 2001年のこと。平成13年度北海道文化財団海外派遣芸術家としてニューヨークに滞在した。派遣期間は3ヶ月間だったが、5月から翌年3月末まで滞在し(この間、2度帰国)、ジャージーシティー(当時)のエドワード・ファスティ スタジオ(http://www.edwardfausty.com/services.htm)に通い、「マスク」をモチーフとする2種類(コロタイプとインクジェットプリント)の版画作品の制作に励んだ。そして、2001年9月11日。同時多発テロ勃発。暮らしていたかつてはコロンビア大学の学生寮だったアパート(601West, 110th Street, College Residence #5J7)の5階の窓から、マンハッタンの南端で起こった事件の、ワールドトレードセンター崩壊後にもくもくと立ち上る煙を、青く晴れわたった空に仰ぐことになった。きな臭い匂いも風に乗って流れてきた。ニューヨーク市の公共交通機関はストップし、午後にはアパートの窓下のブロードウェイは、わが家を目指してひたすら北に向かって歩く人々で混雑していた。
 アーティストとして何をなすべきか――。手元には、1999年のドイツのケルンに赴いたときと同様、日本から持参した100枚の「マスク」があるのみ。しかしながら火事場の馬鹿力とはこのこと。映像作品などまったく手がけたことのない私が、3日後には行動を起こし、何と1ヶ月後の10月11日には、私の制作コンセプトを理解したマンハッタン内の映像会社(Motion Planet Inc.)で、呼びかけに応じて集った36人のニューヨーク市民とともにビデオ作品の撮影を行っていた。
 編集作業に通い詰めること2ヶ月。暗中模索の日々を重ねて、「同時多発テロ」を題材とする「マスク」を用いての映像作品4本が誕生したのである。

 ・Silent Breath 10/11.2001 NYC(Speak) RT4:54
 ・Silent Breath 10/11.2001 NYC(Hand Movement) RT3:41
 ・Silent Breath 2001 New York  RT58:10
 ・New York with Masks 2001  RT7:22
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ikedamidori/01-02video.html

 そしてまた、3年後の2004年、再び平成16年度文化庁特別派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに滞在し、前回撮影に協力いただいた方々のうちの14人の方々に再びスタジオに来ていただいて、3年後の心境を語ってもらい、<3年=36ヶ月の時間の流れを視る作品>に仕上げた。
・36months in NYC(Silent Breath – Speak) RT5:08
・36months in NYC(Silent Breath – Hand Movement) RT3:55

http://www7b.biglobe.ne.jp/~ikedamidori/01-02-6video.html

 なお、1999年のドイツ・ケルンに始まる物体に「マスク」をかける行為については、2011年の東日本大震災を受け、「ハルカヤマ藝術要塞2011」(小樽)でのインスタレーション「マスク・ツリー」(註)をもって、終了とした。


(註)震災発生の「日にち=3月11日」にちなみ、311枚のマスクを樹木にかけて、鎮魂の意を表した。

「日にち」 日を編み、言葉を紡ぐ。」

『My Place on Earth(地球の私の居場所)―1943年4月3日に生まれて―(部分)

 日記はつけていないが、二十余年前から、33行~35行の大学ノートに、1ページを1ヶ月、1行を1日(いちにち)としてスケジュールを書き込んでいる。毎月のページの1行目には、「Todayシリーズ(日付絵画)」など多大な影響を受けた河原温(コンセプチュアル・アートの第一人者、1932~2014年)の<生存経過日数>に倣い、自分の<生存経過日数>を書き込んでいる(ちなみに2021年5月1日は、28518日)。
 何故にこのように「日にち」にこだわるのだろうか。それはおそらく、母から語り聞かされた引き揚げ(私は、父が応召将校として赴いた朝鮮咸興の陸軍官舎で生まれた)にまつわる話の断片に、母の記憶の日時が添えられていたからだろう。――ようやく闇船の算段がつき、2月10日に生まれた長男を背負い、3歳になったばかりの長女(私)の手を引き、敗戦後に隠れ潜んでいた知人の家を出たのは「5月5日の子どもの日」だった――というように。


■『My Own Specimen(1943年4月3日に生まれて)』

 <自分の人生を作品に出来ないだろうか>。そうした思いを抱いて模索していたとき、1998年の上京の折に銀座の伊東屋で、ベルギー製のいぶし金の0.6cm幅のプラスチックテープ(商品名:DYMO、以下ダイモテープもしくはテープと表示、1個=1巻の長さは3m、他に0.9cm幅と1.2cm幅がある)を目にする。これこそが求めていた素材だった。すでにこの色は製造中止ということで、国内にある同テープを伊東屋より買い求めて制作にとりかかった。
 それが、そのテープに生まれてからの日にちを刻印した作品『My Own Specimen(1943年4月3日に生まれて)』(1999年作/「第28回現代日本美術展」北海道立帯広美術館賞受賞)である。
 打たれた数字は1943.4.3~1999.3.15で、使用したテープの長さは1kmを超えようか。この細く長い一続きのテープを、2mの長さのアクリルパイプ(直径7cm)8本に詰めるのは、至難の業だった。

「私は1943年4月3日、朝鮮の咸興で生まれた。これはその誕生の日から1999年3月15日までの日々の標本である。回帰とも呼べるこの作業を通して、これらの<累々たる日々>が残滓ではなく、必然であったことを知った。」

「’99 CONTEMPORARY ART FESTIVAL」(埼玉県立近代美術館)図録より



My Own Specimen(1943年4月3日に生まれて)/1999 撮影:戸張良彦


■『My Place on Earth(地球の私の居場所)―1943年4月3日に生まれて―』

 さらに、前述の作品『My Own Specimen(1943年4月3日に生まれて)』は、<自分が生まれてこのかた、地球上の何処に存在していたか>という作品『My Place on Earth (地球の私の居場所)―1943年4月3日に生まれて―』に発展していく。
 この作品の構想を抱き始めた2007~2008年頃は、母(佐々木栁、1915~2019年)はまだ健在で、札幌の実家に通って聞き書きし、録音も出来たことは幸いだった。母は負けん気も強かったが、利発な女性だった。母の苦難についてまわった年月日の明確な記憶と、父(佐々木秀一、1912~1986年)が著した自伝的な書物がなければ、この作品の制作は到底かなわなかったろう。
 0.9cm幅のダイモテープを使用。居場所ごとにテープの色を替え、1本のアクリルパイプ(長さ1m 直径6cm)には、1年分の日数(365日)が収められている。2021年5月25日現在、使用テープの色数は21色(含む透明テープ)、使用アクリルパイプの本数は78本である。
 なお、住所については住民票に基づき、留学先など手紙が届く住所とした。ダイモテープの色数が限られていることから、夫の単身赴任地は除いた。

 この作品は、展示会場によってその展示形態を変えてきた。

「北海道立体表現展’10」/2010 北海道立近代美術館(札幌)

帯広コンテンポラリーアート「真正閣の100日」/2011 真正閣 真鍋庭園(帯広) 撮影:戸張良彦

個展「日を編み、言葉を紡ぐ。」/2012 STV北2条ビル エントランスアート(札幌) 撮影:並木博夫

個展「I WAS BORN.」/2015 茶廊法邑(札幌) 撮影:山岸靖司

 *北海道立帯広美術館での「池田緑展」では、STV北2条ビル エントランスアート(札幌)の形態で展示された。


■『My Personal History―1943年4月3日に生まれて―』

 <「年譜」を視覚化できないだろうか>との思いから、学歴や職歴、制作活動の変遷など、自身の日々の歩みを色別に表現したもの。
 『My Place on Earth(地球の私の居場所)―1943年4月3日に生まれて―』と同種の、その日の「日にち」を打つ継続制作作品。

個展「日を編み、言葉を紡ぐ。」/2012 STV北2条ビル エントランスアート(札幌) 撮影:並木博夫

個展「I WAS BORN. PART Ⅱ」/2016 TO OV cafe/gallery(札幌) 撮影:山岸靖司

 『My Place on Earth (地球の私の居場所)―1943年4月3日に生まれて―』と『My Personal History―1943年4月3日に生まれて―』の2点の継続制作作品は、1日に5cmにみたない長さながら、順調にダイモテープの長さを延ばしている。

「言葉」 「日を編み、言葉を紡ぐ。」

 「マスク」よりも長く関わってきたものに、「言葉」がある。大学卒業後に帯広の高校の国語教師として赴任した職歴はさておき、1995年に始まる十勝毎日新聞の1面のコラム「編集余録」の執筆については、今年まで26年にわたり、われながらよく続いたものと感心する。
 「アートの題材を主に、文化全般にわたって見聞きしたことのあれこれ、新聞、テレビ、インターネットなどを通して知る政治や社会情勢への不安や疑念、読んだ本に触発されての所感、四季折々の感懐、身辺雑記など」を、帯広・十勝に暮らしている立場から書き綴ってきた。次に、これらの「言葉」を素材とした作品について述べたい。


■『444の日』『33の日』『66の日』『222の日』『111の日』

 子供の頃から本を読むのが大好きで、「この子は本を読み出すと夢中で、おつかいを頼む声も聞こえなくなる」と母を嘆かせたそうだが、国語教師として勤務していた帯広の高校を50歳で退職し、現代美術作家としてアート活動に本格的に打ち込み出したときから、「本を、アートに組み入れることはできないものだろうか」との思いを抱いていた。
 それが、札幌のギャラリー門馬ANNEX(画廊主・大井恵子さん)で個展(会期2010年5月22日~6月8日)を開催することが決まったとき、現実のものとなった。札幌在住の建築家・赤坂真一郎さんの設計によるギャラリーの白く細長い空間に立って展覧会の構想を練っていたときのこと、その瀟洒な空間の奥に、きっちりと積み上げられた<白い本の直方体>が、幻のように浮かんで見えたのだ。
 それからは、その幻の<白い本の直方体>を具現化するための模索が始まった。答えは、自分の足もとにあった。十勝毎日新聞の1面のコラム「編集余録」に15年間(当時)にわたって執筆を続けている私の文章があるではないか――。
 1995年4月4日から2010年3月31日までの444編のコラムを、まずは1冊の本にまとめよう。そして、私の書いたコラムが掲載になった日を、私が読者を介して社会と接点を持った「大切な日(特別な日)」と押さえ、その「大切な日(特別な日)」である「444の日」を形象化しよう。1編=1日=1冊とし、444冊の本を積み上げ、私と読者=社会とに流れた15年の時間を凝縮、実体としての「444の日」を出現させよう。
 こうして、ギャラリーの白い空間の奥に、一瞬の幻となって姿を見せた<白い本の直方体>は、個展「六つのこと 444の日」までに、概念上の膨大な容量(15年の時間)を内包した『444の日』(よんよんよんのひ)という作品になった。「言葉」が、作品の素材となった瞬間だった。
 展覧会の会期中、彫刻と見まごう444冊の白い本の集積(直方体のサイズ 高さ120cm、幅76cm、奥行き67.5cm/1冊の本のサイズ13.5×19.0×5.0cm)は、札幌の新緑を背景にして、それはそれは美しく、毅然と存在し続けた。

『444の日』/2010 撮影:山岸靖司

『444の日』/2010 撮影:山岸靖司


 『33の日』(さんさんのひ)は、『444の日』の続編として、「帯広コンテンポラリーアート2011 真正閣の 100 日」(帯広・真鍋庭園 真正閣)の一環の「池田緑展『日を編み、言葉を紡ぐ。』」(会期:2011年6月13日~6月19日)のために主作品の『My Place on Earth(地球の私の居場所)―1943年4月3日に生まれて―』とともに制作した。築100年(当時)の由緒ある建築物の床の間に、33冊の『33の日』を、それぞれの日にちが見えるように各ページを開いて展示した(展示サイズ 高さ13.5cm、幅2.7m、奥行き15cm/1冊の本のサイズ13.5×19×0.8cm)。
 なお、『444の日』のコラムの所収数が「444」というぞろ目の数字だったことから、この本の所収数も意図的にぞろ目の「33」にして、シリーズ作品としての意味合いを含ませた(以後も、ぞろ目で所収数を調整)。

『33の日』/2011


 『66の日』(ろくろくのひ)は、『444の日』『33の日』に続く作品として、STVエントランスアート(札幌・STV北2条ビル)での「池田緑展『日を編み、言葉を紡ぐ。』」(会期:2012年9月17日~10月7日)のために制作。この作品の展示については、会場が、札幌の高層ビルが立ち並ぶ中心街のビルのエントランスということもあり、66冊の『66の日』を、塔のように垂直に積んで(直方体のサイズ 高さ80cm、幅19cm、奥行き13.5cm/1冊の本のサイズ13.5×19×1.2cm)、会場のガラス窓の向うに仰ぎ見るビル群と対峙させた。

『66の日』/2012 撮影:並木博夫


『222の日』/2018 撮影:山岸靖司

 『222の日』(にいにいにいのひ)は、札幌の茶廊法邑(画廊主・法邑美智子さん)のカフェスペースでの個展(会期:2018年6月13日~7月1日)が決まり、高く白くゆったりとした壁面を前にしたとき、新たな展示の着想を得て制作した。
 各ページをA3サイズに拡大コピー、色は初夏の風にふさわしい藍色にした。そのコピーを、カフェスペースの3面の壁一面に貼ったのだが、それぞれの日が、もっと述べるなら日ごとのそれぞれの私の言葉や思いが、快適な空間ですっかりくつろいでいるのが分かった。このための展覧会だったので、個展のタイトルも『222の日』とした。


『111の日』

 そうしてまた、北海道立帯広美術館で「池田緑展」開催の運びとなったことから、これまで同様に新たな展覧会を一つの区切りとして『111の日』を制作した。残念ながら『222の日』とともにこのたびの「池田緑展」では展示に至らなかったが、今後、ブックアートの領域で<111冊の『111の日』をどのように展示しようか>と考えをめぐらす楽しみが増えた。
 なお、『444の日』『33の日』『66の日』『222の日』『111の日』の5冊の私家版については、<アート作品>としての制作の意図をくみ取っていただき、装丁、デザインなど東洋株式会社のデザイナー・細谷章次さんに尽力いただいた。


「I WAS BORN.」シリーズ

「I WAS BORN.」 撮影:山岸靖司
「I WAS BORN.」 撮影:山岸靖司

 3種類の幅の、いろいろな色のダイモテープに、ひたすら「私は生まれた。」の意の「I WAS BORN.」を、繰り返し繰り返し打ち続ける作品で、数多く制作している。
 正しい英語表現は「I was born in ~.」「I was born on ~.」であるが、あえて「I WAS BORN.」のみを強調して用いている。コンセプトを一言で表現するなら、「日にち」作品同様に、<自己肯定のための営み>である。


■映像作品『言葉(Silent Breath 2001 New York)』

 2017年に、茶廊法邑文化振興会企画による、札幌の建築家・圓山彬雄さんとの展覧会「第5回 建築と美術展」(会期:2月1日〜12日)が開かれた。圓山さんは寒冷地向け住宅のブロック建築で知られる方だが、圓山さんがこの展覧会のために制作したブロックのオブジェに触発されて作成した映像作品である。2001年の同時多発テロ後のニューヨーク市民の言葉を、音声ではなく、「言葉」そのものとして視覚化した作品。

『言葉(Silent Breath 2001 New York)』/2017 撮影:山岸靖司
『言葉(Silent Breath 2001 New York)』/2017 撮影:山岸靖司
『言葉(Silent Breath 2001 New York)』/2017 撮影:山岸靖司


■『船が一艘 大海を進んでいる

 この年齢になって思うことは多い。子どもの頃に聞いた両親の問わず語り。父の2年4ヶ月にわたるシベリア抑留と母の引き揚げにまつわる話は、記憶が薄れるどころか年々濃くなっていく。母に背負われ、船底に隠れ、1ヶ月の後に博多港に着いた弟は、父の復員を待たずに1歳半で亡くなった。そうして父は35年前に、父の復員後に生まれた弟は6年前に、長寿を保った母も一昨年に逝った。あまりの寂ばくに、彼方(西方)のほのかな浄光に向かって航行する船にわが身をたとえ、作品にした。タイトルは『船が一艘 大海を進んでいる』。透明な0.9cm幅のダイモテープに「THERE IS A SHIP AND SHE SAILS THE SEA.」の文字を連綿と刻印したもの。2020年の新作。

『船が一艘 大海を進んでいる』/2020 撮影:戸張良彦
『船が一艘 大海を進んでいる』/2020 撮影:戸張良彦


●ワークショップ「FOUR WORD STORIES 『四つの言葉』の物語」

 2010年から2014年にかけて行ったワークショップに<『「四つの言葉」の物語』をつくろう>がある。原則として私の個展開催期間に限定して行った(註1)ことから5年もの長い年月がかかったが、5年間に200人が紡いだ200ページの多様な『「四つの言葉」の物語』について紹介したい(註2)。
 はじめに「言葉」ありき、と言いたいところだが、はじめに「2冊の手帳」ありき、なのである。十数年前、ニューヨークの文具店で手に入れた掌(てのひら)サイズの手帳――。表紙は茶皮。表紙と同じ皮の50cmくらいの長い紐が取り付けられていて、その紐をぐるぐる巻いたりほどいたりして使う仕組みだ。最近は日本でもデパートや書店の文具コーナーが充実し、このような紐付きの手帳も見かけるようになったが、当時の私にはそうした仕立てもさることながら、ネパール紙を粗く綴じた〝綴じ本風の手帳〟が珍しくてならなかった。
 持ち帰った2冊の手帳を〝何らかの作品〟にしたいと考え続けていたが、この手帳のページを私のまわりにいる人々のいろいろな「心の言葉」で満たし、未知の物語を紡ぐのはどうだろう、とのアイディアが浮かんだ。この2冊の手帳なくしては、<『「四つの言葉」の物語』をつくろう>というワークショップは成り立たなかった。

 「日にち」の項で触れたが、私は1999年から自分が生まれてからの「年月日(数字)」をダイモテープに専用のラベルライターで打ち出す行為を続けている。刻印された数字を客観視することで、もしくは、身に起こった事実を真実として受容することで、自分の存在を肯定しつつ生きる意味合いを探っているわけだが、そうした流れの一環のワークショップで、<思いや考えを「四つの言葉」で表現、その言葉をダイモテープに打ち込んで、物語の1ページを作成する>というもの。

 ⑴あなたの心の中にある「言葉」から、たいせつに思う「言葉」を四語、取り出しましょう。/⑵取り出した「四つの言葉」を、願いや思いを込めながらプラスチックテープに打ち出しましょう。/⑶その「四つの言葉」を、どちらかの手帳の「あなたの1ページ」に貼ります。/⑷そうして、みんなで力を合わせて、「四つの言葉」の本をつくりましょう。いろいろな人の、いろいろな「四つの言葉」が集まったなら、どんな内容の『「四つの言葉」の物語』が紡ぎ出されることでしょう。

 参加者は、言葉を不自由なく使うことができる小学校高学年以上を対象にしたが、幅広い年齢層の方々から「四つの言葉」が寄せられた。
 最年少は小学5年生の男子(帯広)で、「四つの言葉」は、「できるかできないかじゃない/やるかやらないか/ゆめ/せかい」。最高齢は当時90歳の茶道家・羽生節子さん(釧路)。日本画家・羽生輝さん(釧路)のお母様で、「四つの言葉」は、「わ/げん/あい/ご」。


●展示方法について

 手帳は1冊ずつしかないので、誰もが会場で容易にそれぞれの「四つの言葉」を閲覧できる方策として、原本の手帳の1ページごとにコピーをとり、そのコピーを展示することにした。
 さてそのコピーの展示方法だが、2011年3月11日に起きた東日本大震災の直後に日本中に置かれた小さなアクリル製の募金箱(註3)に入れてみた。「お金」ではなく、「言葉」を入れたのだ。この200個の募金箱ならぬ〝募言箱〟(池田緑の造語)に入れられた200人の「四つの言葉」が、琴線に触れるメッセージとして多くの人々に届けられることを願ってのことだった。

「はじめにロゴス(言葉)ありき」/2018 500m美術館(札幌) 撮影:山岸靖司
「はじめにロゴス(言葉)ありき」/2018 500m美術館(札幌) 撮影:山岸靖司


■映像作品『FOUR WORD STORIES

 撮影の許可をいただいて撮影した方々の、ご自身の「四つの言葉」について語る映像で構成されているが、そのトップバッターは、当時出産を4ヶ月後に控えていた本間真理さん(札幌)。生まれてくる子は男児と分かっていたので、青いテープに願いを込めて次の言葉を打っている。「10.6/CREATIVE/GENTLE/STRONG」。数字は出産予定日とのことだったが、そのお子さんは、現在どれほど大きくなったことだろう。


記録集『FOUR WORD STORIES 「四つの言葉の物語」』

 2015年に、2冊の手帳に収められた200人の「四つの言葉」をまとめて、ワークショップの記録集を作成した。そして、連絡のついた参加者の方々に1冊ずつ贈呈した。
 なお、この記録集についても、「思考するアート コトバノカタチ」展(会期:2015年12月3日〜2016年3月16日、北海道立帯広美術館)の折に、200冊を積み重ねて直方体の作品とし、<200人の思いの象徴>として展示した。
 とにかくも、200人の「四つの言葉」が紡ぎ上げる物語は興味深く、まさに人生の集積を見るようだ。

(註1)
■個展「六つのこと・444の日」ギャラリー門馬ANNEX(札幌)/2010年5月22日~6月8日/14名
■個展「地球の私の居場所」砂澤ビッキ記念館・3モアギャラリー(音威子府村)/2010年7月3日~25日/14名
■「ギャラリーとかるねオープン展」(豊頃町)2010年8月10日~31日/3名
■帯広大谷短期大学「西洋美術史」の受講生/2010年9月7日/11名
■個展「Silent Breath―沈黙の呼吸」北海道立釧路芸術館フリーアートルーム/2010年9月14日~10月24日/26名
■うなかがめーゆ美術館(深川)/2010年10月7日/1名
■北海道教育大学岩見沢校「芸術集中講義」の受講生/2011年2月12日/2名 
■個展「日を編み、言葉を紡ぐ。」真鍋庭園 真正閣(帯広)/2011年6月13日~19日/21名
■個展「日を編み、言葉を紡ぐ。」アートホール東洲館(深川)/2012年11月16日~30日/22名
■個展「四つの言葉 2010 – 2013」フローモーション(帯広)/2014年11月1日~16日/81名

(註2)「FOUR WORD STORIES 『四つの言葉』の物語」/『美術ペン145 2015 SPRING』に詳細記述あり。

(註3)東日本大震災に対応するため、募金箱として東急ハンズ向けに限定1000個が製造販売された。2012年1月、製造元より残108個を購入。さらに2014年11月、同製造元に同仕様の募金箱100個を特注。サイズ 17×15×8.5cm

「マスク」と「日にち」

「My Day, My Place」シリーズ

 2012年に始めたアート行為で、行く先々の物体に「マスク」をかける行為ではあるが、「日にち」と「場所」を刻印したダイモテープを貼った「マスク」を使用することに違いがある。啓蒙というよりは、日々の行動の覚え書きの意味合いが強い。自分はこの日、此処で何をしていたか。「My (私の)」と冠する所以だ。
 しかしながら、新型コロナウイルス感染拡大防止のため「マスク」の着用が義務づけられるなど「マスク」に対する認識が一変した。このような逼迫した状況下では、もはや「マスク」をアートの素材として使用することは無意味に思われる。昨年4月(緊急事態宣言発令)から
活動を休止している。

「My Day , My Place」/2018.7.6 CHICAGO

「My Day , My Place」/2012.6.13 NEAR SAWREY

「My Day , My Place」/2020.1.8 OBIHIRO

 以上、「マスク」と「日にち」と「言葉」の作品について、項を立てて自分なりに振り返ってきたが、改めて見えたことは、これらの三つの素材が、大なり小なり融合し合い、重なりあって<池田緑の作品>を形成しているということ。作品が生まれ出る本体はあくまでも<池田緑>であり、作品の本質(根源)は同じなのだということ。
 そうしたことを含め、私の制作意図や作品に込めた思いを、少しでも伝えることができたなら幸いである。今回紹介しきれなかった「第3回大地の芸術祭 越後妻有アートト リエンナーレ2006」参加作品『家の年齢プロジェクト』や、 2018年に行ったウォーキングアート『十勝川河口まで歩く―リチャード・ロングに捧ぐ―』などについても、関連映像作品とともに、いつか触れる機会があることを願いまして。

池田緑(現代美術家)

※クレジットのない写真は、池田緑が撮影。

(お知らせ)北海道立帯広美術館で開催の「池田緑展」の図録は、同館ミュージアムショップで販売中です。
・『池田緑展 図録 2021』/定価2800円(+税)
・『十勝の新時代Ⅴ 池田緑展 図録 2002』/定価500円(+税)

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