2つの100年と“彫刻のまち”/山腋雄一 

2つの100年と“彫刻のまち”/山腋雄一 

 

 1922年に北海道区制が廃止されたことにより、旭川は札幌、函館、小樽、室蘭、釧路とともに市制へと移行しています。市制施行100年の節目に当たる2022年は、各市において様々な記念事業や市制施行100年を冠した回顧的事業が催されていますが、旭川市においても、北海道立旭川美術館が「旭川の美術100年」(2022年7月9日〜9月4日)と題した企画展を開催し、美術の側面から旭川の100年の歩みを紹介しています。この展覧会のセクションの一つとして“彫刻のまち”がテーマとして取り上げられ、北海道立旭川美術館と旭川市彫刻美術館との収蔵作品によって、旭川ゆかりの彫刻家たちの作品と、旭川市と彫刻との関わりが紹介されました。その展示の冒頭に置かれていたのが、旭川と彫刻とを結ぶきっかけとなった中原悌二郎の作品でした。 

 

写真1-1 「旭川の美術100年」第一部の展示風景(「彫刻の街・旭川」セクション)

 

写真1-2 「旭川の美術100年」第二部の展示風景

 

 我が国の近代彫刻史を語る上で不可欠の存在となっている中原悌二郎は、1888年に現在の釧路市で生まれ、その後、幼少期を旭川で過ごしています。盆地特有の大きな寒暖差と明瞭な四季の変化を持つ旭川のダイナミックで奔放な自然環境の中で、中原は自然への畏怖と憧憬に基づいた揺るぎない自然観を身につけていきました。 

 札幌の旧制中学校へ進学後、中原は北海道洋画壇の開拓者であった林竹治郎(1871〜1941)から手ほどきを受けて美術への関心を募らせていき、ついには中学校を退学し、養家の援助を得ずに独力で上京して洋画会で絵画の研究に勤しむようになりました。そのさなか、偶然に発見した、当時はまだ広く知られていなかったオーギュスト・ロダンの<考える人>の作品写真に触発されて彫刻への憧れを抱くようになります。そして、上京後から続いていた貧苦で絵具代の捻出に苦労していたことも転向を後押しすることとなり、1912年に中原は本格的に彫刻を始めることとなります。 

 転向後直ぐに彫刻への才を発揮し、持ち前の自然観と対象の核心を掴み取ろうとする執念にも似た求心的態度によって、無骨で硬質な表現ながら、内在するエネルギーの存在を覚知させる密度の高い作品を生み出します。しかし、上京後から続いていた栄養不足や過労、アルバイトで描いていたペンキ絵の溶剤の影響などで肺を患い、1914年頃から療養を強いられるようになりました。1年に及ぶ旭川での静養で一時は健康を取り戻し彫刻の研究を再開しますが、病の再発によって1921年に32歳5か月という若さでこの世を去っています。彫刻に携わった期間は僅か10年ほどでしたが、中原の残した足跡と作品群は、黎明期にあった日本の近代彫刻に鮮烈な印象を刻むに至っています。 

 

 中原の没後100年が経過したことから、先頃、北海道立近代美術館で「没後100年 中原悌二郎展」(2022年7月10日〜8月21日)が開催され、林竹治郎の作品なども展示しながら中原の足跡が回顧されました。札幌で中原の現存作品の大半を一度に見られることはまれなため、100年経った今も色あせない中原作品群の清新さの中に、その価値を顧みていただく機会となったのではないでしょうか。

  

写真2-1 「没後100年 中原悌二郎展」展示風景

 

写真2-2 「没後100年 中原悌二郎展」展示風景

 

 旭川市は、中原悌二郎の業績の顕彰などを目的として1970年に彫刻賞「中原悌二郎賞」を設け、また、1972年に全国初の恒久歩行者天国「平和通買物公園」を彫刻ストリートとして整備して以来、市制100年のうちの50年を彫刻と主体的に関わってきました。その50年の間に、産業技術や我々の生活様式、世の中のあり方そのものが大きく変化してきましたが、その変化の度合いは、益々大きくなっていこうとしているようにも思います。“彫刻のまち”としてのこれまでの50年間も決して順風に帆を上げてきたわけではなく、多くの関係者の尽力と惜しみない協力とによって時々の課題を乗り越えながら辿り着いた現在地ですが、風向きは急速に厳しくなりつつあります。殊に、世の中のデジタル化やバーチャル化が進むにつれて、空間を大きく占有し、とてつもない重さを有し、存在しているという無言の圧力を備えた、“彫刻”という芸術そのものが現代的な感覚や生活と調和しなくなり、鑑賞、展示、購入、設置といった様々な場面で避けられることが多くなってきたと感じています。財政問題や人手不足など地方行政が抱える課題も多く、自治体が執り行う事業の先行きが不透明である上に、社会そのものが激しく変化していく中で、“彫刻”というものをどう捉え、“彫刻のまち”としてこれからの50年、100年をどう歩んでいくべきなのかといったことを考えなければならない転機にさしかかっていると思わされた、2つの100年目の節目でした。 

 

山腋雄一(中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館館長) 

 

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