柔らかな陽光が窓辺から射しこむ。アトリエのイーゼルの上では白い画布が、私を見詰めている。静謐な白い空間が私の精神を掻き立てるが、外の移り変わる情景のようには私の作品は生まれてこない。
闇の中に幽かな灯火が揺らめき、脳裡の深層に幽かな映像が刻み込まれる。時間の経過の中で、よりいっそうはっきりとしたイメージとなって脳裡に焼き付く。
私は白い画布に一つの点を見出し、脳裡にあるイメージの世界を描き込んで往く。刻む時間を捨て、ただひたすら描き込む。そこには蓄積された精神と技量、忍耐と時間が必要である。外側にある物事の実体、内側にある精神性と長い時間の中で積み上げてきた技量が一体となったときに、自身の絵画を表現することが出来る。
絵具に触れ60年の歳月が流れた。肉体は老いれども蓄積された精神性と技量は、脳裡に涌いてきたイメージの世界を描くには、あり余るほどの若き力に溢れている。
脳裡には荒涼とした大地、大地は切り裂かれ、朽ち果てた建造物が窪みに潜り込み、朧な宙は大地を包み込み、宙には鋭い死線が切られ、その切り口の奥にある暗闇の大宇宙が脳裡に映像として焼き付く。そのイメージの世界を白い画布に描き込む。二次元といった平面の白い画布に、遠近法を使い、距離、空間を描き込んでゆく。無語の中で時間を捨て、ひたすら描き込み完成へと向かうが、絵は完結することはない。何処まで描き込んでも未完である。
作家は深い精神性と忍耐と純粋な創造力が絶え間なく必要だ。凡てを炯眼の眼差しで見つめなければならない。最も醜い物と、最も美しい物を見極めなければならない。最も安全な中を進むのではなく、不安定で不確実な中から、真実を探し求め、創造していかなければいけない。安楽と歓楽からは何一つとして生まれてこない。
私は赤子として生まれてきた。長い時間の中で精神は熟成され、精神的に若き力を得ることが出来た。つきることない時間の中で炯眼の眼差しで白い画布を見つめている。孤独と不安、有限である生者と、無限である死者の魂が絡み合うように、この終わりのない暗黒の宇宙の拡がりは、あまりにも空しく感じる。
ビックバンで宇宙が誕生、膨張を続ける宇宙であるが、そこには必ず終わりがある。生まれた物には必ず終わりがあると私は勝手に思っている。膨らんだ風船はどこかでパンと弾け空になる。一瞬のうちに宇宙が消える、そんな日が必ず訪れると私は思っている。私が画を描くと云った事はこの宇宙では何の意味も持たない事に等しい。
しかし脳裡に焼き付いたイメージを描かずにはいられない。生は有限であるから死を凝視し描き続けることが、一抹の不安と共存できる唯一の行為である。
画といったものが、ただ壁の飾りのように飾られ、金持ちの欲望の果ての飾り物であってはいけない。一枚の絵が数億円といった、この世界の有りようは如何なものか。
画家はそんな事を夢見ていたのだろうか、絵を描き、生きる事に精一杯であったはずだ。人間とはあまりにも情けない生き物である。人間が人間を殺すといった所業を絶え間なく繰り返している。飢えと貧困で亡くなる人は毎日25,000人いるそうだ。
50億円も使い地球をグルグル回って地球は蒼く奇麗だと、馬鹿なことを云っている人もいる。その蒼く奇麗な地球で、どのような所業がおこなわれ、小さな子供たちが飢えと貧困で餓死している事を、炯眼の眼差しで見つめるがよい。そのお金でどれだけの子供たちの命が救われることか……豊かさは自分を見失う、成功は、ただ美しき物に憧れ、果てしない欲望を拡大させてゆくだけだ。
遅かれ早かれ誰しもこの地球から離れ、宇宙の死の領域に誰しも逝く。莫大なお金を使わなくても、みな等しく宇宙の塵となる定めである。
外側にあるこれらの矛盾した実体を深く精神の奥に蓄積し、死といった絶対的な存在を深く認識し、一秒一秒を生きようとする試みが続く。休みなく描きだすことにより、己の魂と真に触れ合い、不可視の領域からイメージが絶え間なく生まれてくる。この事は死するまで続く。
私にとって絵画とは私の肉体の一部であり、その悲鳴が筆先からピリピリとつたわってくる。その痛みを感じとることが出来る。
創造の源はその深潭にある。
佐藤 武(美術家)
〈札幌美術展 佐藤 武〉
会期 2021年10月9日(土)~2022年1月10日(月・祝)
時間 9時45分~17時00分(入館は16時30分まで)
会場 札幌芸術の森美術館(〒005-0864 札幌市南区芸術の森2丁目75番地)
主催 札幌芸術の森美術館(札幌市芸術文化財団)、北海道新聞社
後援 北海道、札幌市、札幌市教育委員会 助成 芸術文化振興基金