〔再録〕リレーエッセイ 会員紹介 『進藤冬華 | 移住の子』展を開催して/宮井和美

〔再録〕リレーエッセイ 会員紹介 『進藤冬華 | 移住の子』展を開催して/宮井和美

*本稿は『北海道芸術学会ニューズレター Hokkaido Art Forum』第22号(令和元年11月発行)「ニューズレター」に初出し、「『進藤冬華 活動ノート/Fuyuka Shindo A Notebook of My Activities』(2021)発行に寄せて」(浅沼敬子)関連記事として再録されたものです。

                     《進藤冬華 移住の子》展 展示風景 撮影: 露口啓二

 モエレ沼公園の屋内施設、ガラスのピラミッドでは、年に2回を目標に自主企画として現代美術の展覧会を開催しています。2019年夏は、札幌を拠点に活動している進藤冬華による個展『進藤冬華 | 移住の子』を開催しました。進藤は、自身のルーツである北海道という土地にまつわる作品を多く手がけてきた美術作家です。日本の歴史を知るだけでは見えてこない、北海道に生きた/生きている人々のアイデンティティとは、北海道史とは何か――。その問いを抱え、サハリンや青森などへ調査に出向き、各地の歴史や伝統的な手仕事を学び、作品化してきました。
 今夏の展覧会では、北海道開拓顧問であったホーレス・ケプロンに焦点をあて、北海道開拓とはなんであったのかを独自の視点でひも解いた新作を発表しました。アメリカ合衆国の農務長官であったケプロンは、1871年に北海道開拓顧問の任務のため来日。日本に農作物や農機具を紹介・輸入し、北海道の道路建設や鉱業、工業など多岐にわたる事業に携わり、北海道開拓の道筋を作った人物として知られています。
 進藤は彼の記した日誌『ケプロン日誌 蝦夷と江戸』(ホーレス・ケプロン著、西島照男訳、1985年北海道新聞社発行)を第一の手掛かりに、ケプロンの出身国であるアメリカや、東京での滞在場所、北海道内の訪問地を巡る、5年にわたる調査を実施しています。この調査は展覧会の企画以前より、個人で研究助成を受けるなどして行っていたもので、当公園からこの調査の成果を発表する場として個展の開催を依頼し、実現したものです。
 展覧会開催にいたるまでの、ケプロンの足跡を追った進藤の調査と逡巡の日々について、直接的に知ることのできるのは、前述の日誌を母体にした作品『ケプロンと私の日誌 1871-1875 and 2018-2019』です。本作は、ケプロンの日誌に、2018年、2019年の進藤の日々を書き加え、新聞ほどの大きさで年表状に編集したものです。アメリカ人であるケプロンが眺めた北海道、そして日本。彼の日誌は、それが私たちの足元へと確かに続く日々であり、ここに生きた人であったことを生々しく伝えます。一方、進藤の書き加えたパートでは、約150年前の過去と現在を行ったり来たりするように、ケプロンの誕生日を祝い、ケプロンが紹介した野菜を作り、ケプロンが視察した土地をめぐり、ケプロンと同様に四季を感じ、地震に怯えて暮らす進藤の毎日が書かれています。時空を超えて、ケプロンの歩みと足並をそろえたその日々は、先進国であるアメリカから合理的な考えや圧倒的な技術力を持って現れたケプロンという相容れない存在を、体当たりで理解していくプロセスそのものであり、読み手はそれを追体験することとなります。この「日誌」が本展の根幹をなしていると言えるでしょう。

          進藤冬華『ケプロンと私の日記 1871-1875 and 2018-2019 撮影: 露口啓二

 そこからあたかも枝が伸びていくように、その他の作品ができあがっています。アメリカの西部開拓のプロパガンダとして利用された絵画をモチーフにした『8つの旗』。大通公園にあるケプロンと彼を招聘した黒田清隆の像をピクルスと切り干し大根にした『ケプロンと黒田の像』。ケプロンがアメリカに持ち帰った日本のアンティークコレクションの作品解説から空想して制作した『想像上のレプリカ』。イリノイと北海道の、その驚くほど似た風景を併置し、ケプロンの残した未来を見せた『トウモロコシ畑』。ケプロンを追いかけた日々を開拓当時の写真技術で再現した『フリの記録』。見えがたい開拓の歴史を自宅へと持ち込んだ『石碑』。自邸の庭を「開拓」した様子を定点観測し、誰のものでもなかった「大地」が誰かの所有物である「土地」に代わっていくことを表現した『大地』。そして、本展のタイトルともなっている『移住の子』は、作家本人が、そして北海道に生まれた多くの人々がこの土地に侵入してきた「移住の子」であることを宣言します。

                           進藤冬華『8つの旗』 撮影: 露口啓二

 進藤の作品はいずれも、気張らないユーモアをたたえた、愛らしい魅力を持っていますが、そこには大国主義や行き過ぎた合理性に対して反発する批評的な視点が潜んでいます。私たちが立っているこの場所はいったいどのように出来てきたのか。アメリカの先達に教えを請い、与えられたものを享受し、また発展させて、いまの私たちがあります。同時に、古くから住んできたアイヌの土地を奪い、内国植民地化した過去があります。
 私たちが歩んできた歴史をどう解釈し、背負っていくのか。本展覧会が問いかけるのは、ただその一点に集約されていると言えるかもしれません。それは作家自身に深く突き刺さっている問いであるからこそ、それが反射して見るものにも鋭く跳ね返ってくるのです。

宮井和美(モエレ沼公園学芸員)

 

 

 

 

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